ハードボイルドなエッセイ

東山 彰良・著
文春文庫・刊

 本書『ありきたりの痛み』は、台湾生まれ、幼少期を台北で過ごし、5歳の時に日本に移り住んだハードボイルド作家、東山彰良氏のエッセイ集だ。著者は2003年、「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞した『逃亡作法 Turn On The Run』で作家デビューし、その後も『流』で直木賞、『罪の終わり』で中央公論文芸賞、『僕が殺した人と僕を殺した人』で読売文学賞など、多くの賞を受賞している。
 私は、普段からエッセイ集やハードボイルド小説は避けているので、恥ずかしながら著者の作品を今まで読んだことがなく、そもそも著者のことさえ知らなかった。だから当初、本書はこのページ右側の新刊紹介の一つとしてのみ紹介する気だったが、10ページほど読んで、さらっと紹介するにはもったいないと感じた。このエッセイ集はそれくらい最初から最後まで面白かった。
 エッセイ集はその名の通りエッセイを集めたものだ。本書も雑誌のコラムエッセイなどを集めたもので、テキーラや映画などの紹介エッセイを多く収録している。それなのに、全体を通して小説を読んでいる気分にさせられる。東山彰良という一人の作家の人生が綴られた小説だ。幼いころ過ごした原風景、直木賞受賞作「流」のモデルになった祖父の思い出、「流」が書かれるまでの心境の推移、サラリーマンになりたての頃の愚かな喧嘩、マエストロの資格を取るほど惚れ込んだテキーラ、そして、愛する本と音楽と映画のこと。著者の愛のこもったキレのある文体で語られるそれらは、読んでいて退屈しない。
 先述のとおり、著者は台湾で生まれ、祖父母にかわいがられて育った。その後、両親のいる広島へ移住するが、言語の壁もあってか、なかなか日本に馴染めず育つ。大学時代はバックパックを背負って東南アジアを当て所なく旅し、ふわふわとした異邦人気分を味わっていた。東京で就職するが、街中で大乱闘を起こしたり、身重の妻を一人日本に残して中国に留学したりと、ハードボイルドな経験がこのエッセイには詰まっている。
 本書のなかで「いまいるところに踏みとどまって頑張るのも大事だ。だけど、どうしてもくつろげなくなったら、そろそろ帰ってみるといい。あなた自身が始まった場所、もしくはなにも始まらなかった場所へ。ありきたりな処方だが、わたしにはよく効く」という著者の言葉が一番心に残った。もしあなたがいま頑張っていて、でもどうしようもないことに直面しているのなら、著者の言うとおりにしてみるのはどうだろう。あなた自身の原風景となりうる場所ならどこでも、それが生まれ故郷でもそうでなくても構わない。そして日常に戻ると、そのどうしようもなかったことがするすると解決したりするものだ。
 東山彰良ファンはもちろんのこと、映画やお酒好き、そして何かに鬱屈としている方には是非読んでいただきたい作品。きっとその感情に効くだろう。 (西口あや)