「鯉のぼりを国連本部に掲揚したい」中村哲 博士

兵庫教育大学名誉教授 和文化教育学会会長

 日本の節句の伝統行事として毎年5月5日にこどもたちの健やかな成長を祈念するために掲揚する「鯉のぼり」が国際交流の場で活躍していたことは、歴史の文献に当たらない限りそれほど多くは思い浮かばないのではないか。

 国際交流の目的で海外で最初に「鯉のぼり」が掲揚されたのは、1873年のウイーン万国博覧会だった。20年後に開催されたシカゴ万国博覧会では、平等院鳳凰堂を模して建設された日本館においても日本と世界の国々との交流を意図して「鯉のぼり」が掲揚されている。

 そんな国際舞台の空にたなびいた鯉のぼりを、再び現代の日本文化の象徴としてニューヨークで掲揚したいと奔走している人がいる。兵庫教育大学名誉教授で和文化教育学会会長の中村哲さん(77)だ。

 中村さんは、ニューヨークの国際連合本部及び日本人学校も含む現地の学校で「国連平和の鐘を守る会」と協力して「鯉のぼり」活動を実施したいと、日本から日本政府国連代表部に連絡したり、このほど実際にニューヨークを訪問してNY日本総領事館、毎年鯉のぼりを学校の校庭で掲揚しているニュージャージー日本人学校などを訪れ、これまでの活動内容を伝えながら、国際親善の場で鯉のぼりを掲揚する道を模索している。

 鯉のぼりプロジェクトとして中村さんが取り組んでいるのは、ニューヨーク以外には鯉のぼりと万博との歴史的関係を踏まえて、万博記念公園と「大阪・関西万博」の会場にて「鯉のぼり」活動を実施すること、大正8(1918)年ごろに当時のフランス首相のジョルジュ・クレマンソーが鯉のぼりを掲揚したサン・ヴァンサン・シュル・ジャール(Saint-Vincent-sur-Jard)のクレマンソー館での「鯉のぼり」=写真・中村さん提供=活動を実施すること、昭和9(1934)年3月に設立された「国際友好鯉のぼりの会」の活動と交流関係があったドイツのマールバッハでの「鯉のぼり」活動を実施すること、そして昭和9(1934)年3月に刊行された「国際友好鯉のぼりの会」の英文冊子(29頁)の訳と日本、ドイツ、フランス、アメリカにて開催した「鯉のぼり」活動に関する著書を刊行することだ。

 日本では古く江戸時代から鯉のぼりを掲揚する習慣があったが、「国際友好鯉のぼり会」を設立したのは東北大学法学部の学生だった土井英一氏(故人)で明治・昭和期の詩人、土井晩翠の息子だ。中村さんが鯉のぼり活動を始めたきっかけは、2011年の東日本大震災で自然災害時など社会的危機状況の中で文化はどのような役割を果たすのか、と震災復興支援として兵庫教育大学や関西学院大学で鯉のぼりを掲揚したことがきっかけだ。新型コロナ禍のパンデミック後は、世界はウクライナとロシア、パレスチナとイスラエルだけにとどまらず、世界各地で国際ニュースにはならない戦争や紛争があとをたたない。中村さんは、腹の中に一物もない薫風の青空にたなびく吹き流しと鯉のぼりが、日本文化を代表的する平和の象徴として、いつの日にか国連本部にたなびくことを願っている。

 (三浦良一記者、写真も)