その3:NM名物 最強のグリーンチリ

魅惑のアメリカ旧国道「ルート66」をフォーカス

 ルート66ファンの皆さん、こんにちは! 6月のNYは1年を通じて最も快適な季節のひとつと記憶していますが、こちら東京は5月中旬より真夏日和がチラホラ、6月に入っても衰えることを知らず、今日も最高33度の「猛暑」。地方では梅雨入り宣言をしたところもあるようですが、関東は梅雨の気配はまだゼロです。ことさら雨の嫌いな筆者にとっては実は暑くても嬉しいことで、このまま「今年は梅雨がなかったね」という会話をお盆頃にしたいと期待しています。 
 さて、魅惑の旧街道を行くシリーズのシーズン③第3話、掘り下げトピックは「グリーンチリ」です。
 グリーンチリと聞くと皆さんは何を想像されますか? グリーン色のチリ、当たり前ですよね。多分チリと聞けば辛いのかな、とか「チリ・コン・カルネ」を思い浮かべる方も多いと思います。ああ、そうそう日本では(理由は知りませんが)「チリコンカン」と言うそうです。同じものを意味していることに気付くまで結構時間かかりました。その「チリコンカン」は、19世紀半ばにテキサス州にてレシピができたと言われているそうです。全米規模で普及としたのは1930年代の世界恐慌、肉類が配給制となった第2次大戦がきっかけらしいのでルート66の歴史とピタリと当てはまるわけですね。チリ、いわゆる唐辛子はメキシコではハラペーニョやハバネロと呼ばれ国の代表料理によく使われますが、アメリカの場合、メキシコ領であった中南西部でよくみられニューメキシコ州はそのなかでもグリーンチリのメッカとなっています。
 今から約10年ほど前、筆者は仕事でニューメキシコ州サンタフェに暮らすことになりました。ロスアンゼルスからの引越しだったため、両都市の間を引越し本番を含め何度か行き来したのですが、ある時ニューメキシコ州アルバカーキでレンタカーを返却して空港行きの送迎シャトルバスに乗っていたときのこと。ちょうど夜遅めの時間帯だったからか、シャトルバスは運転手さんと筆者のみ、という貸し切り状態でした。運転手さんが「兄ちゃん、旅行か?」と聞くので、「いや、今度引越したんだサンタフェに、仕事で。今は荷物取りにロスへ戻って取ってくるところ」と答えると、「そうか、仕事ならまたいつかここを出て行くんだろうなあ」と言うので少々気を遣って「そうだけど、ここが気に入ればずっといるかも」と応えました。「まあいいさ、一つだけ良いことを教えてやろう」と真剣な目をしながら満面の笑顔で言うので「何?」と聞き返すと彼は雄弁に語り始めました。 
「サンタフェを、いやニューメキシコ州を出て行くときが来たら一番MISSするものはグリーンチリだ。これは間違いない。だから今からそのことを考えて、できるだけ食べておけよ。好きなレストランも見つけな。ここのグリーンチリはここでしか食べられない。ほかで食べても同じ味は絶対にしないんだ。グリーンチリはニューメキシコの宝なのさ!」
 随分大袈裟なものだ、と思い話半分に聞いてました。でもその後サンフランシスコに移住し、東京に居を構える今となってハッキリ言えるのは、彼は100%正しかったということです。ニューメキシコ州で食べるグリーンチリと同じ味のする食材・料理は本当に経験できないんです。それらしいものを買ってトライしたことも数回では済まないですが、未だ出会えていません。だから筆者はアメリカへ、ニューメキシコ州へ「帰省」するたびに必ずグリーンチリを食べます。これでもか! と言わんばかり朝昼夕と3食、グリーンチリを「食べ貯め」します。
 何となく本題が後回しになってしまいましたが、ルート66廃線時にはサンタフェはルートに入っていませんが、創設されたばかりのルート66は、ニューメキシコ州部分では当初の路線はモリアーティを通過せず、サンタローザからラスベガス(ニューメキシコ州)に向かって北上し、そこからサンタフェに向かって西に進んだ別のルートが存在しました。いわゆるサンタフェ・ループと呼ばれるものです。その理由はオザーク・トレイルという大きな街道が、ラスベガスに近いロメロビルを通るサンタフェ・トレイルの最西端にあり、そこから東に向かって行くとルート66にあたるという事実があったということ。さらにはロメオビル西部からのサンタフェトレイルは「国立オールドトレイル」の一部でもあり、これは遥かロサンゼルスまでつながっていたことと密接に関係しました。ではなぜ、その後サンタフェ・ループはなくなったのか? ということですが、これはいかにもアメリカらしい政治家の思惑によるものでした。
 1927年、当時のニューメキシコ州知事であったハネットは再選に失敗。彼はこの原因をサンタフェの政治家たちのせいと考え、仕返しをたくらんだのです。地形的なことを考えるとサンタローザからまっすぐアルバカーキを結ぶ方が距離的にも時間的にも短くすみますので、早かれ遅かれこのような配線に代わるのは時間の問題だったかもしれませんが、ハネットは自身の在職中に突貫工事を指示し、見事ルート66をサンタフェから迂回させ、ルート66を旅する人々からの恩恵を受けられなくする手段で対抗したのです。1937年、街道は完成し、その配線が正式なルート66となったのです。
今日、サンタフェはその独特な文化と歴史でニューメキシコ州を代表する観光都市となっています。皆さんもぜひサンタフェを訪れて、そのグリーンチリに触れてみてください。来月またお会いしましょう!(後藤敏之/ルート66協会ジャパン・代表、写真も)