プレッピー時代の再来

 思い起こせば中学生の時分、千代田区内幸町にあったNHKラジオの教育番組に出たり、アメリカの高校に短い間でしたが御世話になったりと、「キチンと装う」ことに自然に関心を持つ様になったのでしたが、中でも16歳の夏、NY州Warwickという小さな街でのキリスト教会の研修でボタンダウン・シャツを生まれて初めて、それも偶然身に着けたことが服装に関心を持つ最大のキッカケであったのかもしれません。周囲の大人たちから質問攻めにあったのです(笑)。日本人もこういうシャツを着るのか? 父親は弁護士か?などなど聞かれた本人は呆然、お手上げの状態

(笑)。

 1976年はアメリカ合衆国建国200年という正に記念の年、アメリカとは?  建国の理念、歴史、ルーツを今こそ見直そうという空気に国全体が満ちていました。その中にヨーロッパの伝統に範を取りつつもアメリカ独自の解釈即ち階級意識の希釈、着心地など実用性、汎用性そして耐久性等を考慮、向上させたアメリカン・トラディショナル・クロージングの見直しも含まれていたのです。

 1970年代前半はメンズ・ファッションもサンローランやディオール、カルダンらフランスのデザイナーがトレンドを牽引しておりましたが、半ば以降様子が変わり、ダウン・ヴェストやネル・シャツ等ヘビーデューティー、アメリカン・オリジナルなデザインに注目、人気となり、かのラルフ・ローレンもこの時期以降急速にメジャーとなっていったのでした。

 その様な時代の流れの中、アイビーやアメリカン・トラディショナル・ファッションが再び注目されることとなったのですが、このタイミングで「時代性」が一つ加わることになったのです。それがPreppyプレッピーでした。

 PreppyとはPreparatory School即ちアイヴィーリーグの大学に入ろうとする予備校的名門私立のハイスクールの生徒さん、といった意味ではあるのですが、当時はそれよりも良家のお坊っちゃん、お嬢ちゃんというニュアンスが優勢だったのと富裕層故、若いのに良い素材、良い生地の服を身に着けているという「やっかみ」的感情もなくはなかったのです(笑)。

 加えて次の2つの要素も大きなポイントでした。まずハイスクール故、大人の定番的着こなしに影響されない自由でクリエーティブなコーディネート、そしてそれまであまり一般的ではなかった独特の色の組み合わせ、例えばピンクとグリーン、オレンジとブラウンなど。僕も大学生の頃フランス製ラコステのダーク・グリーンのポロシャツにピンクのブルックスブラザーズのオックスフォード地ボタンダウン・シャツを重ね着、チノパンツはバリー・ブリッケンとかやっておりました(笑)。全て上質の天然繊維で創られていることが鍵でもあったのです。「締め」の足下はオイルドレザーの手縫いのモカシンやローファー、トップサイダーのデッキシューズも合わせました。

 Preppyに関して大きな話題となった本が1980年秋に出版されました、タイトルはなんと”Official Preppy Handbook”(笑)。

 長い前置きとなりましたが、ほぼ半世紀近い時の流れを経て、21世紀版Preppyが新ためて注目され出している様です。

 今後の流れに注目したいと思いますが、カジュアルな服においては、前回と比べて女性が男性物のSサイズを着たり、マドラスチェックにシアサッカーといった柄物同士を組み合わせてみたり、撥水性やストレッチ性に優れた合成繊維を取り入れたりといった傾向が見られるようです。

 そうそう、サイズ感ですが、最近はアメリカにおいても日本においても以前とは違って適度なゆとり、リラックス感あるサイジングが人気のようです。

 それではまた次回。 

けん・あおき/日系アパレルメーカーの米国代表を経て、トム・ジェームス.カンパニーでカスタムテーラーのかたわら、紳士服に関するコラムを執筆。1959年生まれ。