アファーマティブ・アクション違憲判決、日本人への影響

 連邦最高裁は、ついにアファーマティブ・アクションについて違憲判断を行った。これによって、大学が入学選考にあたってアフリカ系やヒスパニック系の学生を、明らかに優遇することはできなくなった。ちなみに、各大学の名誉のために確認しておきたいのだが、アフリカ系とヒスパニック系に関しては、確かに入学選考では優遇がされていたのは事実だ。だが、入学後の単位取得に関しては、特に優遇はされてはいない。

 あるアフリカ系の若者が言っていたのだが、コーネル大学に合格した時は「ありがとう、アファーマティブ・アクション」と思ったという。だが、入学後はコーネル名物の「1年生地獄の秋学期」で苦労してヘトヘトになり「世の中、そんなに甘いもんじゃないと知りました」と言っていた。彼の場合は、そこを何とか乗り切ったようだが、仮にどうしてもカリキュラムについて行けなければ、下位の大学に転校するというチョイスとなり、空いた枠には反対に他大学からの転入生が入ってくることになる。

 反対論者は「白人への過酷な人種差別」だなどと息巻いていたが、実際は制度としては機能していたのである。特にアフリカ系、ヒスパニック系の全体としての教育レベル、経済的地位のレベルということでは、まだまだ「是正が必要」だというのは厳然たる事実であり、そう考えると今回の判決には全く賛同はできない。

 この判断だが、一般的には日本人を含むアジア系については「損をしていた」のだから、今回の違憲判決によって入試においては多少は有利になるという見方がある。果たして本当にそうなのだろうか? 確かに、例えばアイビーリーグ加盟校の中で、例えば前述のコーネル大学に出願した場合に、履歴書全体の点数で日本人の出願者が合否のボーダーライン上にいたとする。その場合に、多くの出願者と合否を競う中では、これからはアフリカ系とヒスパニック系を優先するということはなくなるのであれば、理屈としては日本人としては以前より有利にはなるだろう。

 だが、実際にそれで日本人がどんどんアメリカの名門大学から合格がもらえるかというと、そう簡単ではないと考える。まず、今年、2023年3月末に最終合否発表のあった「クラス・オブ・2027」の年次について言うと、合否ということでは非常に厳しい結果という声が多い。今年の現象としては人種ということではなく全員が影響を受けたのだが、要するに事実上の合否枠が縮小していたと見られる。各大学は具体的な数字を公表していないが、コロナ禍の影響がまだ残っていた昨年の段階で「合格したが入学を1年延期する」という「ギャップイヤー」を選択した学生の率が高かったようで、その分、今年の合格者を減らさざるを得なかったと推測される。

 今年の問題はあくまで一時的な問題だが、日本人を含むアジア系に関しては、ハーバードを舞台にした訴訟により、かなり顕著な形で合否判定におけるデータが明るみに出ている。ハーバードの学内調査によれば、ある時期に全学生に占めるアジア系の比率は19%だったが、もし学業成績のみで合否判定をしていれば43%に上がっていた可能性があるという。この数字だけを見れば人種差別と怒る人が出てくるのは分からないではない。

 けれども、日本だけでなく東アジア全体の文化として、「プレゼン力」「ディベート力」とりわけ「異なる意見の相手と建設的な議論をする能力」「教授に対して厳しい論戦を挑む姿勢」というようなジャンルに関しては、18歳までに訓練される機会は決定的に少ないというのは否定できない。そもそも「学業成績の点数」で合否が決定されるのが客観的で公平だというのは東アジア独自の文化とも言える。そう考えると、同じSATの点数のグループで、アジア系の場合は半数しか合格しなかったというのは、悔しいけれども部分的には理解できる数字ではある。

 というわけで、今回の「アファーマティブ・アクション廃止」がダイレクトに日本人にとって有利に働くとは思えない。日本人の場合は、「より強い個性と行動力」をアピールしつつ「アジア系の弱点を知りつつ、アジアという文化への誇りは捨てない」という人格を訴える、そのような生き方をして、その成果を見せるというのが名門大学合格への道であろう。更に言えば、日本人・日系人のコミュニティ全体としても、「胸の張り方」として「名誉白人」のように振る舞うのではなく、少数者に寄り添う「正しさ」を常に心がけることが結果的に地位向上に繋がるのではとも思う。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)