今回の「鎖国」、その影響と今後の教訓

 6月10日より、まだ規模を限定してではあるが外国人のインバウンド観光が再開された。この間、約2年3か月にわたって続いてきた「鎖国」がようやく終わろうとしている。この「鎖国」の影響は政治経済、そして文化や社会においてジワジワと日本社会に変化を与えて行くであろう。いや、既に変化は始まっている。日本におけるアメリカ社会に関する報道、そして情報流通が著しく縮小しているのだ。例えば、現在アメリカ社会を大きく揺るがしている最高裁の判例変更の問題について、日本での報道は極めて少ない。アメリカに関するニュースといえば、野球の大谷選手の動向だけと言っても過言ではないだろう。

 さらに問題なのは、交流が再開した場合に、そこに「不連続性」が生じてしまうということだ。まず、日米の為替レートの問題がある。アメリカでのインフレに加えて、激しい円安が進行している。これでは、日本からアメリカに来る場合に、留学にしても観光にしても大きな支障が出てくる。その一方で、アメリカの治安の悪化という問題がある。まず日本からの旅行先としてアメリカが敬遠されるのは間違いないとして、仮にそれでも来米した場合が問題だ。都市部では、銃や刃物を使った無差別な暴力も多い。「ヘイト犯罪」も根絶できていない。そんな中で、慣れない観光客が被害に巻き込まれる事態は何としても避けねばならない。

 いずれにしても、途絶えてしまった交流を復活させることで、往年のように日米間を人々が行き来することで、お互いが学び合い、ビジネスに役立てる良好な関係を再建しなくてはならない。

 それとは別に、この間の「鎖国」に関して反省が必要だ。まず、「ビザなし渡航」の停止に対応する法制の不備という問題がある。平時であれば、日米間は「ビザなし」である。つまり米国のパスポートがあれば、ブラックリストに載っていない限りは、誰でも日本に入国できる。この措置を、今回はコロナ禍対策のために停止した。そこまでは理解できるとしよう。

 問題は「ビザなし渡航」が停止されている場合には、イコール「ビザが必要」となるわけだが、そうなると、まるで貧困率の高い国の国民と同じように厳格な審査が行われるという点だ。例えば、日本国民の配偶者である証拠として「戸籍謄本」を取り寄せる必要があるとか、経済的理由で日本にオーバーステイしないように「銀行の残高証明」を出せという対応が取られた。つまり「平時はビサなし対象国」に向けた「感染症対策で人数を絞る際にビザを出す簡易な手続き」という制度がないのである。最大の被害者は在外公館の窓口の皆さんで、筆舌に尽くし難いご苦労があったと拝察する。善良な米国市民に対して「日本人の配偶者との婚姻関係」を疑ったり、「困窮して不法滞在になると困るので残高証明を」などと要求することは、日本という国家の威信を毀損していると思う。制度の改正は喫緊である。

 非人道的だったのは、婚約ビザ制度がないので外国法に基づく婚姻関係を作らないと入国させないとか、一番ひどい時期には慶事では入国を認めず、弔事だけだったなどという扱いである。これも日本人の家族であっても外国籍なら「ソトの人間」とみなす偏狭な発想から来ており、猛省が必要と思う。

 また、米国で公職に就くとか、税制から資産を保全するなどの消極的な理由から、市民権を獲得し、正直に日本国籍の離脱措置をした方が、母国から事実上の入国拒否にあっていたのも大問題である。また制度を熟知しておらず、国籍離脱が遅れた方の場合は、慶弔などの理由でビザを申請すると「始末書」などというものを要求されたとも聞く。これなどは、米国市民に対する侮辱であり、外交問題にならないのが不思議である。

 いずれにしても、「鎖国」からの「出口」が見えてきた現在、反省が必要な項目は山のようにある。最大の課題は、日米という経済社会軍事の各方面で不可分の関係を築いている二国間関係においては、今後は感染症などの問題にあたって、より連携を深め、一体として対策にあたると同時に交流を途切らせない制度的な仕組みを作ることだと思う。(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)