コロナ禍の中、日本文化への憧れが増殖

あめりか時評閑話休題 冷泉彰彦

 訪日外国人観光客が、年間3千万を大きく超えて4千万、更には6千万も射程に入ったと言われたのが2019年。その後、新型コロナウィルスの感染拡大を受けて、事実上日本の国境は閉鎖され外国人観光客の集団は消えた。

 それどころか、2020年末からの変異株流行に伴って、より厳しい入国規制が敷かれており、日本国籍者でもPCR検査結果の様式が合わないだけで、日本便への搭乗拒否がされている。「水際対策」の徹底を求め「島国の特質を生かせ」という決まり文句をネットにまき散らす、一部の世論に突き上げられてのことである。

 状況が日に日に厳しくなっている五輪開催問題も、その背景には8割を超すという五輪開催反対の世論がある。理由は勿論、外国人選手役員の入国によるウィルス持ち込みへの警戒感だ。海外の側から見れば、接種の進まない日本国内の環境の方が危険なわけだが、日本のムードは異なる。ワクチンなどに頼らなくても、日本式の生活様式なら感染を抑え込めるが、外国人を入れるのは怖いと言う心理であって、無意識のうちに一種の排外感情が暴走しているとも言える。

 危機に際して極端な鎖国心理が出てくるというのは、確かに日本の宿命かもしれない。では、訪日観光客年間4千万とか、6千万というのは二度と達成不可能なのだろうか? 実はそうでもないという見方もある。というのは、例えばアメリカでは、このコロナ禍の中で日本文化はどんどん遠い存在になっては「いない」からだ。それどころか実情はむしろ逆である。

 例えば、アニメのブームは相変わらず根強い。この4月に全米で公開された『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』は、暴力シーンが多いためにR指定とされたにもかかわらず、公開最初の週末ではほぼ20ミリオンの興行収入を叩き出した。LiSAさんの歌う主題歌「炎(ほむら)」も浸透している。RPGゲームのような感覚など、21世紀の若者や子供たちに共通の世界観を持った作品ということもあるが、大正期を舞台にディティールにこだわった「和」の世界がここまでの支持を受けているというのは現象と言っていい。

 食文化においては、ラーメン文化の浸透が著しい。ニューヨークやカリフォルニアなど、日本文化の浸透の早かった地域だけでなく、パンデミック下で飲食業としては厳しい環境にも関わらず、全米で各種のラーメン店がどんどんオープンしている。

 ライフスタイルの方では、近藤麻理恵さんの「片づけ」カルチャーは相変わらず高い支持を受けており、TVシリーズなども好調だ。また、ここへ来て日本式「イキガイ(生き甲斐)」論というのがブームになっている。これは「分をわきまえる」とか「腹八分目」などといった長寿のための「シンプルライフ哲学」とでも言ったもので、それが「イキガイ」という言葉とともに人気化している。

 というわけで、日本文化への憧れというのは、このコロナ禍の中でも、どんどん増殖していると言っていい。考えてみれば、今の30歳前後というのはポケモン世代であり、アニメと共に育って今は親になろうとしているわけだ。彼らにとっては、日本のカルチャーというのは血肉化していると言っていいだろう。

 その結果として、例えば航空会社や旅行代理店が「ポスト・コロナ」を意識して海外旅行のマーケティングを再開しているが、そのイメージ広告では「海外旅行といえば日本」という扱いになっているものが見られる。つまり、仮にコロナ克服というムードが広がり、日本の国境がオープンしたら、アメリカから日本への観光客は爆発的に殺到する可能性があるのだ。

 現時点での日本の「排外的なムード」については、日本社会の特質を考えると、サッと雲散霧消してしまうと思われ、余り心配はしていない。問題はインフラである。両航空会社は持ちこたえてくれると思うが、飲食、宿泊などが生き残って、4千万、6千万というボリュームを受け止められるよう祈るばかりだ。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)