間違いの存在しない空間で自由に表現

無から有を産む面白さに米国で気づく

 夏時間になり時計の針が1時間進むと、spring is around the corner (春はすぐそこ)の声があちこちで聞こえてきます。日本では桜や卒業式のこの時期、NYでも入試結果や各種発表会など催される頃ですが、娘の学校でも先日スクールプレイがあり、私も観に行って来ました。演目はオズの魔法使い。米国での桃太郎の様なもので、脇役の猿、キジ、犬に呼応するかのように、かかし、ブリキ、ライオンと丁度3人。話も明快で勧善懲悪、学芸会にはピッタリだと観ていましたが、ふと小さな日米の違いに気付きました。それは、セリフや動きを間違えてしまった子が、大喝采をもらっていた事です。もちろん日本でも励ましの拍手など起こるでしょうが、ここではつんざく様な大歓声で、間違えた子は主役でもないのに、まるでヒーローのよう。間違いはそんなに大した事でなく、それをものともせず頑張った事への尊敬…のような物があり、それはここでは割と日常のさまざまな場面で目にするものでした。日本でも昨今少し変わってきたように思うものの、やはり間違いや失敗はまだまだあまり良い物でなく、皆なるべく失敗しないように気をつけたり、間違えたら何故もっと準備しておかなかったのかと問われる様に感じます。(とは言え、だからこそ日本の仕事のクオリティは高く、一方米国では普段からあらゆる場面で間違いが頻発し問題にもなっているのですが…)よく言われる様に間違いは誰もがするもので、特に音楽演奏や演劇の本番にはつきもの。米国では総じて、間違いは評価の対象にせず、払われた努力を見る事が多い気がします。昔NYの音大時代のレッスンで私が歌詞を間違えた時、君はどうして間違えてすみませんと言う様な顔をするの?と止められた事がありました。そんな顔をしなければ気がつかない人が大半だし、気づいても気にしない、それより君が堂々と歌う姿を観客は見たいんだよ、と言われ目から鱗であったと同時に、間違ったのに堂々とするなんて出来ないとも、正直思いました。が数日後、METオペラで主役のソプラノが、大きく間違っても全く気にせずゴージャスに振る舞うのを見て、この事かと納得した覚えがあります。また間違いと言えば、日本人クラシック音楽家には即興演奏が苦手だと言う人が割といて、それは普段、譜面に忠実にミスしないように練習しているのに、即興は逆で正解がないだけにどこか居心地が悪く、何か間違って演奏をしている気になるからだそうです。その昔、実は私も即興が苦手でしたが、ある時、真に自由である事を肌で理解し、無から有を産む面白さが段々わかり始め、果たしてこの世には間違いや失敗など存在するのだろうか?芸術は何でもありなのだ、と言う感覚が芽生えた頃から、どんどん即興が好きになりました。実はこの月末にもNYで即興演奏に挑戦するのですが、”間違い”の存在しない空間で自由に表現出来たら…と思っています。

田村麻子=ニューヨークタイムズからも「輝くソプラノ」として高い評価を受ける声楽家。NYを拠点にカーネギーホール、リンカーンセンター、ロイヤルアルバートホールなど世界一流のオペラ舞台で主役を歌う。W杯決勝戦前夜コンサートにて3大テノールと共演、ヤンキース試合前に国歌斉唱など活躍は多岐に渡る。2021年に公共放送網(PBS)にて全米放映デビュー。東京藝大、マネス音楽院卒業。京都城陽大使。