白覆面の魔王は親日家

ザ・デストロイヤー・著
ベースボール・マガジン社・刊

 本名、リチャード(ディック)・ベイヤー。1931年7月11日、ニューヨーク州バッファロー生まれ。シラキュース大学時代、フットボールのオレンジボウルに出場。同大学から教育学修士号を取得後、バッファローのプロモーターにスカウトされてプロレス入り。ロサンゼルスで「インテリジェント・センセーショナル・ザ・デストロイヤー」に変身。フレッド・ブラッシーを破り、覆面レスラー史上初の世界チャンピオンに君臨する。1963年に初訪日し、力道山と壮絶な試合で一躍脚光を浴びる。ジャイアント馬場が全日本プロレスを設立してからは、日本陣営として通算6年にわたり参加。覆面レスラー世界一の座も手中に納める。また、日本テレビ系列の人気番組「うわさのチャンネル」に出演、非凡な才能でお茶の間ファンの人気を獲得した。1993年7月29日、日本で引退してからは、地元ニューヨーク州アクロンの小学校で体育教師や、水泳、レスリングのコーチに専念。また毎年7月に行われる日米親善少年レスリング大会には、地元のレスリング・チームを引率して訪日するなど、リングを降りても日米の架け橋としての活躍ぶりを示した。
アクロンの高校体育館には、世界チャンピオンのベルトを絞めた等身大のデストロイヤーのカラー写真が貼ってあった。日本からの報道関係者、マスコミの前に現れる時は、必ず、白覆面のマスクを着用した。学校や家庭ではもちろん、マスクを抜いでいるが、地元の人たちや子供たちはみな、ディック・ベイヤーがプロレス世界チャンピオンのデストロイヤーであることを知っている。もちろん地元の名士だが、人気があるのは子供たちから。「この町の小学生以下の子供たちだけで選挙の投票をしたら、間違いなく私がトップ当選するよ」とマスクの中から白い歯を見せて笑った。
  2011年8月27日には『ALL TOGETHER 東日本大震災復興支援チャリティープロレス』に登場、「デストロイヤー杯争奪 ALL TOGETHER スペシャルバトルロイヤル」の立会人を務めた。
 2017年、プロレスラー時代から日米両国の友好親善および青少年交流に貢献してきた実績を評価され、日本政府から秋の叙勲において外国人叙勲者として旭日双光章を受章することが発表された。健康状態を考慮して翌年2月にニューヨーク州バッファローで叙勲伝達式が行われた。
 3月7日、ニューヨーク州バッファロー郊外アクロンの自宅で88歳で死去。7日正午過ぎに家族に囲まれて自宅のベッドで息を引き取ったという。「自分はプロレスに向いていたし、プロレスもまた自分に向いていた。生まれ変わってもまたプロレスラーになるだろう」と生前語っていた。 (三浦)