一人演劇祭に参加して

チェコ共和国へプ

 私の作品「舞踏メディア」がチェコ共和国北西部のドイツ国境近くにある街ヘプ (Cheb) での一人演劇祭に招待された。観光業が中心だが、個人営業店等で経済を保つことができる小さな街だ。大きな企業系の店がほとんど見られなかったのは、ニューヨーク在住の私にとっては新鮮で中世にタイムスリップしたかのようだった。劇場の責任者から2年前に参加の打診を受け、日本人が一度も参加していないということで正式な招待を受けた。
 チェコはいつか訪れたかった国の一つ。真夜中に到着したにも関わらず、滞在先の管理人さんは快く迎えてくれた。とても大柄の男性で、私のことを「ヨーコオノ!」と呼び、(私がヨッコなだけに)、大きなクマさんにハグされるようなハグをし、汚れた衣装を手洗いしている私を見た時には代わりに洗濯までしてくれ、身振り手振りで一生懸命世話をしてくれた。
 翌日朝食後に他のチームと合流し、劇場へ。10月初頭の気候は思ったより寒く、何枚も防寒具を重ね着した。黄色い外見の劇場(Cheb Municipal Theatre) は街の中心にある。可愛らしい外見に温かみのある内装。どの国でも劇場に入るといつも自分は本当に劇場が好きなのだなと思う。家に帰ってきたような、劇場そのものが故郷のように感じ、国は違えど言葉は通じなくても劇場のすべての人が家族に思える。

 初日はリハーサルを別の建物でし終えた後、街を歩いた。とても小さな街で数十分で中心街は見て回れる。おもちゃ箱をひっくり返したような可愛さとカラフルさ。夢の世界にいるようで楽しい気分になった。ロシアやナチス占領時代の後、気分も暗くて街も暗かったらやってられないとその後町全体をカラフルにしたという。ある劇場の人によるとチェコの文化は何でも冗談にしてしまう風潮らしい。舞踏メディアは超悲劇なだけに受け入れてもらえるかどうか一抹の不安を覚える。
 チェコビールを昼間からいただき、ほろ酔い気分で劇場に戻ると、私の公演が完売したので劇場の配置を変更したいと言われる。200席ほどの劇場なのだが一人芝居の祭典ということで舞台上に観客席を設置して80人程の座席数での公演予定だった。作品性や個人的な好みとしては小さな空間でお客さんの空気が伝わる場所で演じたかったが、文化交流目的なので劇場側の要望を受け入れることとなった。
 翌日は朝から7時間ほど準備をかけていよいよ本番。完売に次ぐ完売。オペラ小劇場のような楕円状作りで3階席まであるが、そこまで大声を出していなくても波のように声が会場に伝わる。観客と一緒に呼吸している感覚に陥った。私が演じるだけではなく、作品が生きていて観客と空間とともに新しい瞬間が生み出されていく。奇跡のような体験で恍惚感にひたる中、カーテンコールが続き、3回目にはスタンディングオベーションが起こった。涙する私に観客は総立ちで更に2回のカーテンコール。観客はすべて街の人で、2年に一度のこの祭典を心待ちにしているのだという。チェコ語で「デェクユ」(ありがとう)と言い何度もお辞儀をした。後で劇場プロデューサーに素晴らしい空間ですねと伝えると、「この劇場は1874年に建築されたんだ。当時の人は本当の劇場の作り方を知っていたのだね」と教えてくれた。
 最後の日は、ヘプ観光。昼食はヴェプショバー・クネドロ・ペチェニ という伝統的なチェコ料理でローストポークに酢キャベツとクネドリーキ(茹でパン)が添えられる。ビールととてもよく合う。食後はぶらぶら街を歩き、大聖堂の塔の一番上まで登り、街を見下ろした。オレンジ色の屋根が連なり、広場を中心に街が形成されている。中世からこの姿は変わっていないのだろう。迷路のような石畳、散歩する人や日曜の午後を過ごす家族や友人、笑い声…。ヘプ城の前に広がる川沿いの庭園はそんな風景に溢れていた。何気ない日常。何百年もの間そこで生活する人の、その声を、空気を、感じた。
 出発の朝は5時と早い。前日の夜、管理人さんにお別れの挨拶した後、荷造りしていたら、彼が翻訳機とパンとコーヒー牛乳を持って私の部屋に現れた。翻訳機を見ると、「これは明日の朝食です。今外で買ってきました。劇場からの指示じゃなく、私からの贈り物です」と書かれていた。「またおいで」と大きなハグをしてくれた。 (Yokko/動作芸術家、演出家)