松楓殿が日米結ぶ

高峰譲吉の別邸

高岡商工会議所が日本クラブ訪問

■高峰譲吉博士 (たかみね・じょうきち・1854〜1922)富山県高岡市生まれ。結婚後、アメリカに永住。消化酵素タカジアスターゼ、ホルモンのアドレナリンを発見し「近代バイオテクノロジーの父」と呼ばれた。ニューヨークの日本人コミュニティーを作った一人であり、当時の東京都知事・尾崎行雄とともに、私財を投じてワシントンDCのポトマック川に桜の木を寄贈、日米親善にも多大な功績を残した。ジャパン・ソサエティーと日本クラブの設立に関わり日本クラブの初代会長を務めた。

修復に携わった数寄屋大工故小林繁氏
改築資料を高岡市に寄贈した妻が来米

 日本クラブ初代会長、富山県高岡生まれの化学者、高峰譲吉博士(1854〜1922年)の別邸「松楓(しょうふう)殿」は、1904年アメリカ・セントルイス万国博覧会にて日本館のパビリオンとして建設され、博覧会終了後、高峰博士が譲り受けNY郊外(Forestburgh)に移築し、日米親善の社交場や政財界の要人の迎賓館として利用された。

(写真上)高峰譲吉博士の写真を中心に日本クラブで記念撮影
左から4番目日本クラブ前田正明事務所長、右から3番目増地矢恵子さん、4番目小林遹子夫人、そして高岡商工会議所の方々

 日系の歴史を学ぶため、ニューヨーク育英学園の児童たちが授業の一環の見学学習でよく訪れていた松楓殿(2010年頃撮影)

 数奇屋大工としてNYを中心に活動した故・小林繁氏は、90年代後半から松楓殿の改築・修復作業に携わり、その際に小林さんが集めた関連資料を、妻の小林遹子(いつこ)夫人がご主人の逝去後、どこかに寄贈したいと思い、友人のアルツハイマー病の研究家、増地矢恵子さんに相談。増地さんが高峰博士の生誕地の富山県高岡市に連絡を取り、2023年春、小林夫人の代理として高岡市を訪れて寄贈した。

 今回、高岡商工会議所の方々が高岡市の団体研修のためNY訪問し、10月18日に小林夫人と増地さんと一緒にウッドローン墓地の高峰博士のお墓や、キャッツキルにある松風殿跡地を訪れ、そして日本クラブを訪問した。

 高岡商工会議所では、高峰博士の偉業を後世に伝える「高峰譲吉博士顕彰プロジェクト」を立ち上げ、その一環として松楓殿再現事業にも取り組み、令和2年より高岡商工ビル1階ロビーで、その一部を再現公開している。

 今回は、松楓殿の再現展示や調度品の管理、パンフレットの作成を行う会社など、松楓殿再現に関わりのある企業などが日本クラブを訪れ、日本クラブ前田正明事務所長と歓談した。また、小林氏が作った日本クラブ4階の和室・松の間と竹の間、3階の和風の化粧室などを見学した。小林夫人は「私の人生には常に松楓殿がある」と語った。