渋沢栄一の功績に触れる

深谷駅

埼玉県深谷市

28歳のころの渋沢

 今年4月、麻生太郎財務相は5年後の2024年に紙幣を20年ぶりに刷新すると発表した。1万円札は福沢諭吉から渋沢栄一に、5千円札は樋口一葉から津田梅子に、千円札は野口英世から北里柴三郎にそれぞれ変更され、24年度上期から流通を開始する。なかでも1万円札は1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来、40年ぶりの人物変更となる。渋沢といえば、その生涯を描く2021年のNHK大河ドラマ「晴天を衝く」(主演:吉沢亮)も発表されたばかりだ。

 渋沢栄一がお札の肖像として候補にあがったのはこれが初めてではない。1963年、渋沢は新千円札の人物選定で伊藤博文と最終選考まで争ったが、当時の技術ではヒゲがないと偽造されやすいという理由で落選した。今回ヒゲがなくても採用された理由を麻生財務相は、「最先端の偽造防止技術を搭載するため」だとしている。現在発表されているその最先端技術のひとつは、銀行券への導入が世界初となる「3Dホログラム」で、お札を傾けると図柄が浮きあがってみえるのだそう。
 また、新1万円札の裏面には東京駅丸の内駅舎がデザインされるが、これも渋沢と関係がある。1914年に建てられた東京駅丸の内口駅舎には深谷市にある日本煉瓦製造株式会社製のレンガが使われたからだ。この会社は渋沢が作った日本で最初の機械式レンガ工場で、赤坂迎賓館や帝国ホテル、東京大学などに使われたレンガもここで作られた。そんな東京駅との繋がりから、20年ほど前に深谷駅が改修された際には東京駅を模して造られた。深谷市で生まれ育った私は、田舎によくある平屋建てから突然立派になった駅舎に驚いたものだ。

青い目の人形を持つ渋沢

 ところで、渋沢栄一って誰? と思う人も多いのではないのだろうか。渋沢は1840(天保11)年、武蔵国榛沢郡(現在の埼玉県深谷市)の農家に生まれた。幼い頃から家業を手伝い、論語をはじめとする学問や剣術を学び、江戸や京都への遊学を経て、最後の将軍となる徳川慶喜に仕えた。27歳のとき、慶喜の弟・徳川昭武に随行してパリ万国博覧会を見学するなどヨーロッパ諸国をまわった際には先進国の社会や技術を目の当たりにして大きな感銘を受けており、この経験がのちの近代経済システム構築に役立ったと言われている。その後明治政府から招聘されて大蔵省に入省し、日本の政治経済の土台づくりに貢献。33歳で大蔵省を辞め、第一国立銀行(現みずほ銀行)の総監役に着任、この銀行を拠点に東京瓦斯(現東京ガス)、東京海上保険(現東京海上日動火災)、帝国ホテルなど、約500の企業や教育機関、社会公共事業の支援に奮闘した。「近代日本資本主義の父」と呼ばれているが、渋沢が関わった事業があまりにも広い分野で数も多いため、その功績をひと言で説明できないことが知名度の低さにつながっているのかもしれない。そして満州事変から2か月後の1931(昭和6)年11月11日、渋沢は92歳でこの世を去った。

記念館のある地区公民館

 さて、新1万円札についてのニュースが発表されたあと、深谷市にある「渋沢栄一記念館」には突如として多くの人が訪れるようになった。地区の公民館も兼ねた記念館には渋沢の写真や資料、肉声を再生できるスピーカーのほか、研修室、図書室や体育館も併設。その体育館を横切り記念館の裏側に出ると、右手に論語を持った高さ約4メートルの立像が日陰にひっそりと置かれている。実はこの銅像、以前は深谷駅前ロータリーにあったのだが顔と体のバランスが悪く、「地元の偉人なのにカッコ悪すぎる」と市民からクレームが殺到。そこで現在の坐像と交代させられ、立像は記念館の裏手に移されてしまった。身長150センチと小柄だったが腕力は強く、米俵一俵を軽く持ち上げていたという渋沢。小さいながらもムキムキの筋肉質というところか。

渋沢栄一の銅像と解説員の塚田さん

 記念館では4人の解説員が在籍し、資料を前に20分ほど渋沢の生涯とその功績について丁寧に説明してくれる。解説員のひとり、塚田さんに新1万円札について尋ねてみた。すると塚田さんは名誉なことだとする反面、すこし寂しそうな表情で懸念する。「キャッシュレス化が進むいま、5年後の日本ではいったいどのくらいの日本人が現金を使っているのだろうか。その時に紙幣がほとんど流通していないのであれば、我らが渋沢栄一のお札を目にする機会はあるのだろうか」と。青空の下、心配顔で立つ塚田さんを微笑ましく見つめた。もうお札になってもあまり意味がないかもしれませんね、その言葉は胸にしまった。それでもいいではないか、かつての2千円札を誰もが新札のまま保存しているように。論語を片手に堂々と立つ渋沢栄一の銅像を見上げた。渋沢先輩、それでも私は世界屈指の新技術が導入されたあなたの紙幣を手にする日が待ち遠しいですよ。(本紙/高田由起子、写真も)