あがた森魚  赤色エレジーからの音楽史を映画化

29日NYでライブトークショー

「佐藤敬子先生を探して」
たどりついたらNYに

 1972年「赤色エレジー」で電撃デビューを果たしたシンガーソングライター、あがた森魚が29日(日)午後3時と7時の2回、ニューヨークのプロデューサーズクラブ(西44丁目358番地3階グランド劇場、電話212・315・4743)でライブトークショーを行う。
 2017年、自らの45年の音楽史を語るために制作を開始したドキュメンタリー映画「佐藤敬子先生を探して」。森魚の探究心を執拗に駆り立てる担任佐藤敬子は羨望と畏怖だった。小学1年の森魚に驚愕の世界観を見せつけ、わずか2年の間で、幼い心に「自分を表現する」種を蒔き、今もなお創作の水源であり続ける。永遠の恩師を探し求め行き着いた場所は、奇しくも音楽活動の原点と言えるボブ・ディランが言葉を綴ったニューヨーク。
 今この時、この場所で、あがた森魚は今は亡き佐藤敬子に語りかける。ほとばしる映像、むき出しの言葉、そして現在のありのままのあがた森魚のライブ音楽で綴る90分ライブ。
 今回は、ラジオ・パーソナリティー役の末永ジュンが、あがた森魚をゲストに迎えるラジオトークショーという形で進行し、現在制作中のドキュメンタリー映画「佐藤敬子先生を探して」の一部の上映、あがたのライブ演奏と映像のコラージュ、トークで構成。演奏曲は「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」「赤色エレジー」ほかを予定。
あがた森魚さんの話
 ともかく、1972年に「赤色エレジー」で、デビューして、念願のNYに初めてきたのは、1977年でした。それから、何度もNYにはきましたが、NYは、いつきてもホットです。
自分は、ボブディランに衝撃を受けたことに始まり、歌手を志しました。ディランが開花したNYに自分も行って、音楽を作ることが夢でしたが、昨年やっとその夢が叶いました。今年もNYで、いまレコーディング中です。29日には、コンサートも行います。
 僕のデビュー曲は「赤色エレジー」ですが、その主人公、幸子と一郎は、将来、画家になることを志します。夢が叶えられたでしょうか?
 21世紀のNYにもそういう夢を志している、幸子と一郎がいっぱいいます。というはなしを聴いて、感銘しました。
 時代を超えて、アートを志す。NYはそういうものを受け入れる場所だと実感します。きっと素晴らしい成果をえらえることを祈っております。
 戦後生まれの団塊世代ですので、もうかなりの年長組になりますが、NYの若い方々とレコーディングや音楽活動できたらとおもいます。年齢をこえて、仲間に入れてください。
 チケット一般前売り20ドル(当日25ドル)。学生前売り15ドル(当日20ドル)、VIP席(各公演限定5枚)。購入先https://bit.ly/2m3bBmR