レジオンドヌール勲章を授与

フランス政府、医師の園田明淑さんに

リセ・ケネディ日本人学校とフランス人学校理事長

  リセ・ケネディ日本人学校(新元良一校長)及び同フランス人学校の理事長を務める園田明淑医師が9日、NYフランス領事館においてレジオンドヌール勲章を授与された。ナポレオン・ボナパルトによって1802年に創設されたこの勲章は、さまざまな分野で同国に貢献した人物に与えられる栄誉ある賞として広く知られる。1964年に創立されたリセ・ケネディ国際学校は、1985年に故園田幸司博士が経営権を取得した後、日本人学校が併設された。アメリカとフランス、そして日本との文化交流の発展に、同校が長年寄与したことに対し、同館のロベール総領事から感謝の言葉が述べられた後、厳かな空気が漂うなか勲章が園田医師に授与されると、会場は出席者たちからの大きな拍手で包まれた。産婦人科医として多数の子どもたちをとり上げる一方、夫の遺志を引き継ぎ、両校の運営を続けてきた園田医師は、栄えある受賞の日に自身のスピーチで、学校に関わったすべての児童生徒、保護者、さらに職員などの関係者に心からの感謝の意を示した。ニューヨークにおいて、いまなお日仏双方のコミュニティから厚い信頼を寄せられる同校の歴史にあって、新たなページが刻まれる一日となった=写真左・同校提供=。

 レジオンドヌール勲章はまた連隊、教育機関、共同体、企業(フランス国鉄など)、結社(フランス赤十字社(フランス語版))などにも授与される。

 高等教育機関としてはパリ国立高等鉱業学校、サンテティエンヌ国立高等鉱業学校、エコール・サントラル・パリ、エコール・ポリテクニーク、パリ国立工芸学校(現在のParisTech)、ドゥエー高等工業学校(フランス語版)、フランス国立古文書学校、ナンシー大学(現・ロレーヌ大学)など、中等教育機関としてはブール=カン=ブレスのリセ・ラランド エクス=アン=プロヴァンスの軍事リセ、ラ・フレーシュの国立軍事幼年学校(フランス語版)などが受章している。

仏政府から騎士の称号

リセ・ケネディ理事長 園田明淑さん

 リセ・ケネディ日本人学校・フランス人学校理事長の園田明淑さん(90)がフランス政府から今月9日、ナポレオン・ボナパルトによって1802年に創設された名誉あるレジオンドヌール勲章を授与された。この勲章は、さまざまな分野で同国に貢献した人物に与えられる賞として広く知られ、騎士(ナイト)としての称号を与えられた。

 1964年に創立されたリセ・ケネディ国際学校は、1985年に夫の故園田幸司博士が経営権を取得した後、日本人学校が併設された。アメリカとフランス、そして日本との文化交流の発展に、同校が長年寄与したことに対し、在ニューヨークフランス総領事館のロベール総領事から勲章が伝達された(1面に記事)。

 「すべては夫が築いたことを引き継いだまでで、私はもらう資格はないです」と控えめに語る園田さんは、産婦人科医として長年ニューヨークでクリニックを開業し、これまで日本人を含む1万人以上の赤ちゃんをとりあげてきた人だ。1963年にニューオリンズのチュレーン大学医学部を卒業し、69年にブルックリンで産婦人科クリニックを開業。横浜国立大を卒業してコロンビア大学大学院の学生だった夫の幸司氏と64年に結婚、幸司氏がニュージャージー日米協会会長(会員300人、1985年当時)だった86年6月に私費で経営権を買い取り日本人高校を同年9月に開校した。それが現在のリセ・ケネディ日本人学校(新元良一校長、在籍児童170人)の土台となっている。当時の開校の様子を伝える読売新聞の米国現地版「ザ・ニューヨーク・ヨミウリ」1986年8月7日号によると、日本人高校ができたのはミッドタウン44丁目、五番街と6番街の間。その後、ウエストチェスターのアーズレーの校舎でフランス人学校のキャンパスを使って日本人学校としての経営をしていた。しかし2005年1月2日に幸司さんが肝臓がんのため急逝したことから学校経営を引き継ぐことに。産婦人科医と学校経営との両立は大変だったが、医師の長男・幸男さんと弁護士の長女・ミドリさんが力となって支えてくれた。日本からの医学生たちを世話するのが大好きだった夫の言葉が今でも忘れられない。「僕は90歳になっても杖をついてでも学校経営をやっていくよ」。今、自分がその年になり、改めて夫からバトンを渡された気持ちだ。(三浦良一記者、写真右も)