その2「バベットの晩餐」

ジャズピアニスト浅井岳史の2019南仏旅日記

  やはり時差ボケだ。夜中に起きて二度寝、結局朝寝坊をしてしまう。が、バケーションに来ているのだ。何を急ぐことがあろう。
 昼過ぎにこの中世の街Uzes市(ウゼ)の真ん中にそびえる城に出かける。ここは古くはローマ時代から栄えた山と川に囲まれた風光明媚な街なのだ。紀元前1世紀にはすでにローマの水道が作られていた。近くにpont du gardという世界遺産にも登録された有名な水道橋があるが、その上流の当たるのがこの街である。
  当然のことながら、そういうところは奪い合いになる。ウゼは8世紀にはアラブのウマイヤ朝に占領され、アラブの最北端に位置した。かつてエジプトがローマ帝国でキリスト教国であったことは驚きだが、南仏がイスラム教国家? これはさらなる驚きである。それをレコンキスタでキリスト教軍が奪回したことは周知の事実である。
  フランスには大きく分けて二つの地域がある。一つはYesをOuiと言うパリを中心とする地域、もう一つはYesをOcと言う南仏である。言葉の名前が地名になり、ここをLangued’oc、ラングドック地方という。それはOccitaneとも呼ばれ、世界的に有名なフランスのブランドL’Occitane en Provenceはここの文化を商品化している。
  ウゼは長い間キリスト教ビショップが治める街として繁栄した。が、パリのルイ8世が併合を企て、13世紀にルイ9世(私の研究テーマ)との間で和解が成立。1229年に公爵(Duke)が置かれ、それ以来800年間、この城はDuch d’ Uzesと呼ばれ、同じ家の末裔が今も住んでいるという。現在の城主様に是非会ってみたいものだ。
  素晴らしい円形の城下町には中世の石の建物がそのまま残る。城が見えた! 眩しいプロヴァンスの太陽に石の建物とロゴ入りの屋根が映える。早速入場。城のゲストではないので、チケットを買う。フランスの田舎の城は、大抵フランス語のツアーでしか中に入れない。そこに庭だけ観たい人、翻訳が欲しい人など、ややこしくなる。英語では中々通じないので、伝家の宝刀フランス語で頑張った。そうしたら、後ろにインディアナから来たというアメリカ人夫婦がいて通訳をしてくれと言う。日本語も少しできる彼らと共通点も多く会話が楽しかった。
  フランスの城は大抵そうだが、中世の古い部分と近代の豪華な宮殿が共存する。古い鎧の兜があり、ご先祖様のバストや肖像画がたくさん並べられている中に何と今の城主の家族の写真もある。近代の部分には教会があり、光輝いていた。そして屋上から見た景色の素晴らしいこと。石の建物と屋根が緑の森の中に円形の中世の街を形づける。この景色は13世紀から変わっていないはずである。
  最後にアクシデントがあった。中世の城には大抵地下に牢獄がある。入り口が一つしかなく一回入ったら出られない。恐ろしくも囚人はそこで忘れられてしまうというので、城の牢獄をOublie(忘れた)と言う。ゴーストが出ると言う噂があるそのウブリエを覗いていたら、サングラスを落としてしまった。幸い深くはないので、下の方に落ちているのが見える。一瞬、自分で取りに行こうかと思ったが、それは危険だ。それに忘れられたら大変だ。サングラスを諦める? それは城にとっても良くない。で、夫婦でさっきの受付のお兄さんにお願いに行った。たった一人で切り盛りしているお兄さんは、入口を閉鎖して、石が風化していて危ない中、頭をぶつけながらサングラスを拾ってくれた。なんて素晴らしい人だ。名前を聞いたらトニーだと言う。深々と感謝した。


  城を出ると門前に露店が準備をしている。どうやら今夜はお祭りのようだ。なんてラッキーなんだ。街の広場でアイスクリームと飲み物で休憩。それもフランスならではの非常に格調の高いスウィートだ。NYでプロデュースを手掛けている女性シンガーのデビューコンサートが決まったと知らせが入った! アイスクリームがもっと甘くなった!すっかりスウィートになってひとまずアパートまで帰る。徒歩10分だ。
  本来はアパートで自炊をするのが常なのだが、今夜はお祭りもあるし、初日から掟を破って外食をすることにした。夕方は冷えるのでそれなりの服に着替えて、昼間たっぷり楽しんだ城の前に戻る。
  出店を見て回る。トリュフ屋がある。頻繁に南仏に来ながら今まで知らなかったが、トリュフには黒トリュフと白トリュフがある。お馴染みの黒トリュフは南仏産で1キロ800ドルで取引され、白トリュフはイタリア産で1キロ2000ドルだそうだ。純粋のトリュフは高いので、トリュフのクリームを買う。特別なディナーで出そう。
  目星を付けておいたレストランへ。フランスでは夏の夜は外で食事をするのが普通である。星空の下、薄暗いキャンドルのテーブルにつく。英語を喋るのは失礼になるくらい超フランスの夜である。ウェイトレスの女性が超優しい。料理は、前菜にピーマンのツナ詰め、メインにプロヴァンスのチキン、プロヴァンスのエビ、北アフリカ料理のクスクス、美味しいパン、表面が硬いので割って食べるクリームブリュレ、ティラミス、このクオリティーの高さは何だ! 決して高級レストランではないが、長い間に培われてきた食文化がここにある。やはりフランスは世界で押しも押されぬ文化大国だ!
  映画「バベットの晩餐会」の如く、すっかり料理で幸せになって、星空の下中世の石畳を歩いていると、城の前の市役所でタンゴ大会があって、街のおじさん、おばさんが着飾って楽しく踊っている。どこかダサくてパリの洗練さは全くないが、集う人たちの楽しさはどうだ!こちらが感動してしまう。しばらく見入ってしまった。
  その感動を胸にアパートに戻る。プロヴァンスの初日は、今までの辛いことをすべて帳消しにしてお釣りをたくさんくれる幸せな一日であった。(続く)
(浅井岳史、ピアニスト&作曲家)
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