「秋の政局で大きな転換点に立った日本」

 菅総理の総裁選不出馬宣言により、日本の秋の政局はややシンプルとなった。仮に総理があくまで続投にこだわり、強引に人事をやり、本当に9月13日前後に解散していたら、事態はもっと複雑になっていたからだ。とにかく自民党総裁選は9月29日の投開票、そして総選挙については新政権の浸透を待って実施という可能性が大きくなった。

 自民党とすれば、新政権の人気化に加えてコロナ禍の感染拡大が抑制できれば勝てるという計算をしているであろう。だが、問題はそう単純ではない。政局の奥には日本の「国家百年の大計」を左右する2つの大きな問題が横たわっており、これを総裁選や総選挙を通じて選択しなくてはならないからだ。

 1つは財政規律の問題である。小泉政権以降の20年、日本は曲がりなりにも財政規律を意識してきた。その点で財務省は一貫していたし、例えば2009年から3年にわたって国政を担った民主党政権は世界的に見れば超タカ派の経済財政政策を採用していた。これを批判して登場した第二次安倍政権は、確かに金融緩和は行ったが投資姿勢は保守的なままであり、菅政権もその延長にある。その背景には、日本の国家債務が既に危険水域に入っているという認識があった。それでも超円安が起きないのは、巨大な国債発行残高が国内の個人金融資産で消化できているという理由であり、従って財務省は危機感を緩めずに歴代政権の財政出動を縛り続けたのである。

 だが、今回の政局ではこの「縛り」を解き放つ動きが見られる。まず自民党では高市早苗氏が「アベノミクスの継承」を言いながら、第三の矢である構造改革の旗は下ろしつつ「プライマリーバランスを崩し」てでも「危機管理投資・成長投資」を行うとしている。これが突破口となったようで、野党勢力も20から50兆円の「真水の経済対策」などと言い始めた。

 確かにコロナ禍で傷ついた経済に対しては復旧の投資は必要だ。だが、高市案では構造改革を止めて投資だけ行うという姿勢であるし、野党の案はより露骨なバラマキに過ぎない。いつの間にか、財界本流の応援団から貧困層救済に回った岸田文雄氏の経済政策にも、「改革」や「成長」への強い思いは感じられない。問題は、こうした議論の全体を通じて財政規律への意識を緩めながら、何がなんでもリターンを取るという戦略と執念が不在ということだ。これでは既に2流となった日本経済が3流、いや破綻への道を加速してゆくことになりかねない。

 2点目は、エネルギー政策だ。こちらは政局における論争は低調である。そんな中で、強い待望論のある河野太郎氏と小泉進次郎氏は、おそらくコンビを組んで菅総理の排出ガスゼロ化政策を継承すると見られている。河野氏は、再生可能エネルギーの比率アップに強い執念を見せて「パワハラ」という中傷を受けるほどだったし、小泉氏は本来自分の課題であったはずの原発処理水の排出問題で菅総理が泥をかぶってくれたこともあり、環境の小泉というイメージを辛うじて守っている。

 だが、このまま原発の稼働を増やさずに進むのでは、日本の電力需要は支えられないし、当面の排出ガス削減はできない。となれば、トヨタの豊田章男社長が明言しているように、日本国内では自動車が作れなくなる。また製鉄など他の日本の重要産業も成立しなくなる。仮に、製造業を諦めて知的な省エネ経済にシフトするにしても、現在の中進国仕様の教育改革には時間がかかる。従って、国が破綻せずに改革を進めるには期限を切っての原発稼働が必須である。

 この点に関しては、反原発派と思われている河野、小泉コンビが「2050年全面廃炉」を掲げて、それまでの稼働の許可を世論から取りつけるシナリオが期待されるが、彼らにその決意と能力があるかは未知数だ。しかしながら、彼らを含めて、この問題の争点化から逃げるようならやはり日本は破滅の道を歩むことになる。

 新人ばかりの総裁選、与野党逆転の可能性のある総選挙は一見すると派手な印象を与えるが、この秋の政局において、日本がこの2つの問題を直視できるかどうかは、国家存続を左右する分岐点となるであろう。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)