ガザ攻撃反対の学生運動をどう考えるか?

 マンハッタンの北、ハーレムに隣接しているコロンビア大学のキャンパスは、かねてよりガザ問題における両派が対立する中で、学生のデモが激化していた。イスラエルのガザ攻撃の激化、とりわけラファ攻撃が逼迫する中で攻撃への反対派の活動が活発化。これに対抗して、大学側はキャンパスを占拠した学生を処分するとともに、警察力を導入し多くの逮捕者を出した。

 このニュースであるが、同大学のOBである筆者には特に驚きはなかった。大学院のMBAコースを除外すれば、姉妹校である女子大のバーナード大学を含めて、この大学にはリベラルな学風が根強いからである。昨年、日本でヒットしたドラマ「VIVANT」で堺雅人さんの演じた主人公は、コロンビアに留学していたという設定になっていた。ドラマの中では、911テロに触発された多くの学友が兵役に志願したのに刺激を受けた、というエピソードがある。だが、この挿話は本学の学風を考えると違和感がある。反対に、今回の活発なデモの動きには『いちご白書』以来の伝統の延長を感じるのは事実だ。

 そうは言っても、気になる点も多い。まず学生たちの扮装であるが、パレスチナ国旗を掲げ、白黒チェックのバンダナを身にまとうのは、やや行き過ぎと思う。少なくとも20世紀後半において、PLOやPFLPが武闘路線を取っていた時代を想起させるルックスであり、暴力の記憶が纏わりついているのは否定できないからだ。確かに3万4000という民間人犠牲に憤慨し、即時停戦を求めての行動には一理あるが、これでは対立を煽っていると言われても反論は難しい。

 一方で、イスラエル支持の側が、反戦運動の側を「反ユダヤ(アンチ・セミティズム)」という言い方で決めつけるのも困ったものだ。この言葉は、20世紀前半まで欧州とロシアにあったユダヤ系への根深い差別を意味する言葉である。従って、イスラエル建国に伴うパレスチナの地を巡る争いにこれを適用するのは、誤解を招くし卑怯である。言葉の拡大解釈は続いており、「即時停戦」を言っただけでそれが反イスラエルのヘイトスピーチだという言論もまかり通っている。ハマスが拘束している人質の生命を軽視しているからヘイトだというのだが、そこにはイスラエルが「このような事態」を予測して拘束している千人を超えるパレスチナ政治犯という「人質」の存在が無視されている。いずれにしても、舌戦が劣化しつつ激化しているのは問題だ。

 更に問題なのは、今回の対立劇を政治利用する動きである。コロンビアでもそうだが学園の自治を侵犯するかのような、政治の介入がひどすぎる。例えば、同じニューヨーク州の選出である共和党のエリス・ステファニク議員などは、反戦運動への取り締まりが甘いとして、各大学の学長人事に介入し続けている。保守系の有権者にアピールしようという意図が露骨であり、それが更に対立を煽る結果となっている。同じく共和党のジョンソン下院議長も同様だ。問題の渦中であるコロンビア大学のキャンパスに乗り込んでいって、学長の取り締まり不行き届きを責め立てるなど、完全に学問の自由への介入である。日本で言えば、戦前の平賀粛学に際して、東大の河合栄治郎が追放された事件並みの暴虐だ。

 この問題だが、解決の道筋を描くことは可能だ。ハマスが監禁している昨年10月に誘拐した人質を全面的に解放するのは当然だ。そして、イスラエルが確保している千人を超えるパレスチナ人の政治犯を解放するのも当然であろう。その上でハマスの武闘路線を指導して、昨年10月の奇襲テロに関与した人物、あるいはイスラエルにおいて民間人殺戮を承知でハマス掃討を遂行した人物は、双方ともに国連が主導して特別法廷で裁かれねばならない。その上でガザの自治には武闘路線を放棄したグループを据えて、国際的な枠組みで復興支援を行うことも必要だ。

 残念ながら、問題の当事国であるイスラエルと米国にはこのような「当然の解決案」を自分たちで選択する能力はない。そのことを前提に、日本は欧州と連携し国連を支えて動くべきだろう。日本の外交は、この問題に関してはイスラエルとパレスチナの双方を仲介できるだけの信用は確保しているはずだ。

 いずれにしても、今回の各大学における動きは、アメリカ社会が「911テロ」を完全に過去のものにしたことを示している。言い方を変えるのならば、「911テロ」を知らない世代が大学生になっているという時の流れを示している。そのような新たな世代が社会の主な舞台に上がりつつあるのだ。そして、チャーチルが言ったという(諸説あるが)「20代でリベラルでなければ情熱が足りない。40代で保守でなければ思慮が足りない」という格言を信じるのであれば、現在、やや過剰であるとはいえ、このような情熱を持ち、20年後には思慮を持つであろう新しい世代が、再び分厚い人口の層として登場しているのは注目に値する。いずれにしても、ドーハで行われたという和平交渉(なぜかアメリカでは大きく報道されていない)の行方を見守りたい。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)