春に流れる笛の音のごとく

人生を全うした天才

 大変お世話になった方が亡くなった。そして、そのメモリアルイベントの為、数日間だけ日本に帰国した。少し遅れて開花した桜と、私の帰国のタイミングはバッチリ重なり、繊細に咲き誇る満開の桜を眺めつつ、日本のクラシック音楽界に多大な影響を与えた彼の業績と、その濃い72年の彼の生涯に思いを馳せた。彼の持論は、分母を増やせばピラミッドの頂点が高くなると言う事。クラシック音楽をあまりよく知らない一般層に、その面白さを伝えファンを増やし、ひいては日本のクラシック音楽界の経済をも底上げする、と言うものだった。その甲斐あってか昨今の日本は、世界有数のクラシック音楽マーケットだと言われている。それは少なからず彼の影響があったと思っている。

 その彼は、あなたは日本で一番上手な歌手だと心から思っていると言い続けてくれた人で、その後にはもっと痩せろだとか、化粧をもっと勉強しろだとか色々と続いたが、その言葉はいつも励みになっていた。日本で一番上手かなど、全く考えた事すらないものの、そう強く信じている人が家族や恋人以外にいるという事が嬉しかった。そしてここ数年は、早く日本に帰ってこいと折に触れ言われていた。彼はストラテジーを考える天才だったので、きっと彼の頭の中では、私が帰国したらああしようこうしようと言うのが、あったのだろう。お別れの前にそれを聞きたかった。

 春にまつわる歌は、本当に多い。例えば日本の唱歌をサッと思い浮かべただけでも、花、早春賦、蝶々、春よ来いなど直ぐに出てくるし、オーケストラや器楽曲まで含めると、もう世界に無数に存在する。暗く厳しい冬の後に、待ち焦がれた暖かな陽の春。作曲家達が書かずにいられなかったのはよく分かる。多くの曲が、春の喜び、憧れや希望を歌ったワクワクするものであるが、今私の思い出す春の歌は、ノルウェーの作曲家グリークのものだ。「これまで何度も迎えてきた春が、また巡って来た。しかしこれが最後の春になるだろう」と言うものでこの詩の最後には、「私は自分で作った笛を吹き、その音は泣いているようだ」と終わる。でも音楽は決して暗くも重くも無い、とても自然だ。達観はしていても言葉に出来ない色々な思いで涙は出るのだろう。ノルウェー人の友人によると、自分の笛を作る(彫る)と言うのは、人生を生きるという比喩らしい。良い表現だなと思う。亡くなった彼は、間違いなく多大な功績を残した。クラシックファンを増やし、文化庁長官表彰も受けた。最愛の奥様と幸せな家庭を築き、沢山の仲間や同僚に囲まれ、次々と革命的なアイディアを思いつき、やりたい事を全てやっていた。彼は自分の作った笛を吹いた時、きっとその音が泣いていると言わなかった気がする。人の人生は色々だし、笛の音は泣いていても明るい音でも何でもいい、どんな音だって自身の音だ。人は皆自分の笛を彫りながら、最後にその笛を吹くのである。

田村麻子=ニューヨークタイムズからも「輝くソプラノ」として高い評価を受ける声楽家。NYを拠点にカーネギーホール、リンカーンセンター、ロイヤルアルバートホールなど世界一流のオペラ舞台で主役を歌う。W杯決勝戦前夜コンサートにて3大テノールと共演、ヤンキース試合前に国歌斉唱など活躍は多岐に渡る。2021年に公共放送網(PBS)にて全米放映デビュー。東京藝大、マネス音楽院卒業。京都城陽大使。