フィッシャーマンズ・セーター

イケメン男子服飾Q&A 87
ケン 青木

 はい、例年通りの厳しい寒さとなっておりますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか? 

 この季節大いに頼りになりますのが伝統的な製法でしっかりと編まれたウールやカシミアなど天然繊維を用いたセーターと、科学的根拠に基づいた合成繊維で作られたダウン・ジャケットなどとの組み合わせ。温かさと軽さに優れていていいですよね。私の場合、多少の重さは気にならず、ダウン・ジャケットよりもっと昔からあるダッフル・コートやピー・コートを着こみ、帽子を被っておとなしめのタータン・チェックのマフラーを巻くことが多いでしょうか。

 今回の主旨から少し外れますが、首廻りにマフラーを巻いて帽子を被ると思いの外温かいもの。人間は頭と首から放熱しているので、この2か所をキチンと覆って上げますとコート1枚分温かい…と言われております。ぜひお試しください。

 さて、中に着込みますカシミア素材等につきましては、ややデリケートな繊維でもあり、僕の様な「ガテンでガサツな男」(笑)には向いていない面もないではないのです(笑)。そんな時頼りになるのが、羊毛に少し油(ラノリン)を残し、太く編まれた糸でザックリ、だけでなくガッシリ、しっかりと編まれた、そして前部にケーブル編みやダイヤ柄などがあしらわれた生成り色のセーター。この様なセーターが一般にアラン・セーターあるいはフィッシャーマンズ・セーターと呼ばれている、丈夫で温かなセーターなのです。

 アランとは島の名前ですが、通常この様なセーターは英国製、つまりイングランド製、またはスコットランド製というのが相場なのですが、このアラン/フィッシャーマンズ・セーター、実はアイルランドにそのルーツがあるのです。スコットランドに詳しい方は、「そんなことない、スコットランドにアラン島はある、大きな島ですよ」と言われるかもしれません。その通り、スコットランドにアラン島はありますが、実はアイルランドにもあるのです。それぞれArran、Aranと綴ります。そしてフィッシャーマンズ・セーターのアランと言えば、アイルランドのAranアラン島なのですね。英語ではAran Islandsと複数、群島なのです。首都ダブリンから真西に約500キロメートルで北太西洋に出ますが、その沖合にある群島がアラン諸島。

 この島々は1934年にロバート・J・フラハティ監督が“Man of Aran”というドキュメンタリーを撮って、アメリカでもその名が知られる様になりました。草木もあまり生えていない荒涼としたアラン諸島で漁業で細々と生計を立てている島民の生活を淡々と描いておりました。

 アラン・セーターに関する伝説で、6世紀から云々…..と言った説がかつて流布しておりましたが、長年の調査の結果、現在の様なセーターとなり始めたのは19世紀後半、ほぼ完成したのが第二次世界大戦を挟んでの1930年代半ばから1940年代後半だったと言われております。

 原型となったのが英仏海峡にあってやはり漁が盛んなGuernsey Islandガーンジー島の漁師たちに着られていたブルーのケーブル編みのセーター だったと言われ、アラン島のある女性が、お子さんがキリスト教の洗礼を受ける際、生成りの糸でセーターを編んで着させたら大変評判になったと言われ、そこから評判が広まっていったそうなのです。

 アメリカにおけるアイルランド移民の歴史は差別を受け、白人ながら大変な苦労をしてきました。それでも真面目に働いて、官職につく方が多く、ニューヨーク市警察(NYPD)においてはアイルランド系移民のエメラルド・ソサエティは最大の組織ですね。消防署(FDNY)でもその事は変わりません。第二次世界大戦後から15年余、1961年にアメリカの歴史始まって以来のアイルランド系カトリック信者の大統領が誕生しました。JFKこと、ジョセフ・F・ケネディ大統領です。そして、ちょうどそのタイミングで、素朴で丈夫で温かいアラン・セーターがアメリカ市場で大ヒット、ブームとなったのでした。偶然だったのか、否か?ピカソら芸術家やスティーブ・マックイーンはじめハリウッドでも流行。イングランドやスコットランドに比べて衣類の「名産品」がありそうでなかったアイルランド系移民の人たちにとってはプライドをくすぐる吉報ともなったのでした。それではまた次回。

 けん・あおき/日系アパレルメーカーの米国代表を経て、トム・ジェームス.カンパニーでカスタムテーラーのかたわら、紳士服に関するコラムを執筆。1959年生まれ。

(写真)1992年、セント・パトリックデーでアラン・セーターを着たエド・コッチ市長。画面左は日本航空ニューヨーク支店