伝統を超えた瞬間芸術で世界へ

三味線プレーヤー 史佳(Fumiyoshi) info@worldcompass.jp
 史佳(Fumiyoshi、本名・小林史佳)は、津軽三味線の大御所・高橋竹山(故人)の竹山流最年少の継承者で、音の響きを大切にする斬新な弾(ひ)きで聴衆を魅了する気鋭の三味線プレーヤーだ。日本国内外で演奏活動を続け、今年10月5日にカーネギーホールのザンケルホールでコンサートを行う。津軽三味線のスタンダード曲はもちろん、近年は作曲家/アレンジャーの長岡成貢とともに新しい三味線の楽曲作りに取り組んで、古典を大切なベースとしながらも、伝統芸能の枠を越えた新しいニッポンの音楽を目指して活動している。演奏活動のほか、ライフワークとして自らがサラリーマン時代に患った「うつ病」から回復したエピソードを語る講演会も教育機関や福祉施設などで積極的に行っている。
 1974年、新潟市で生まれた。母(高橋竹育)は新潟竹山会二代目で、9歳の時から母親の手解きで三味線を始めた。「大嫌いだった」という三味線はそれでも高校時代まで続けたがバスケットボールに熱中、立命館大学理工学部に進んでもバスケは同好会で続けたが三味線からは遠ざかり、普通の大学生のように就職激動の氷河期を突破してNTT西日本に就職した。そこで転機があった。本社に転勤してから技術革新に追いつけずに重度のうつ病に。入社3年目。母親から「会社辞めて戻っておいで」との言葉に吸い寄せられるように帰郷した。「なんにもやることないなら三味線でも触ってなさい」と渡された三味線。ひとりでに手が動いた。25歳だった。それから20年。がむしゃらに自分の世界を見つめて走ってきた。「優秀だと思ったけど、優秀じゃなかった」(笑)「でもどん底があるから、一旦捨てた人生だから何でもできる。これが完全に救ってくれた。命の恩人です」と三味線を握る。
「魂が震える演奏—。」小さい時に演奏を聞いた高橋竹山が1986年ニューヨークのジャパン・ソサエティーで演奏した時のニューヨークタイムズ紙の記事にその言葉があった。自分もいつかニューヨークで。そんな気持ちを抱いた。3年前に竹山会の演奏家が招かれたジャパンデー@セントラルパークに参加した。自分の中で世界へ踏み出す道を心に刻んだ。その頃に日本で結成したのが「スリー・ライン・ビート」という演奏ユニット。史佳の音色に魅了されて三味線の道に入った演奏家・更家健吾とペルーの民族打楽器カホンを操るドラマー、Ricaの3人組。10日、日本クラブで開催されたニューヨーク新潟県人会30周年、新潟日報国際交流拠点開設8周年記念式典で来米した花角英世新潟県知事ら一行を歓迎するレセプションでRicaと出演して演奏し大喝采を受けた。
「私より三味線が上手い人は世の中にいっぱいいるが、人を惹き付ける三味線、それが唯一自分にしかできない音楽だし、それを極めていきたい。三味線はその時、その瞬間を勝負する瞬間芸術なんです」。10月のカーネギーホールでは三味線のほかにバイオリンも参加するなど「タイトストリングス(ぴんと張った糸)」というタイトルにした。「多くの人に来ていただきたい。本番までに何度かまたニューヨークに来ます。機会があったらいろいろな所でお目にかかります」と笑顔を見せた。
 (三浦良一記者、写真も)