編集後記 2022年6月4日号

【編集後記】
 みなさん、こんにちは。メモリアルデーの5月30日、ニューヨーク市クイーンズ区にあるマウント・オリヴェット日本人墓地で恒例の墓参会が行われました(今週号3面に記事掲載)。ニューヨーク日系人会(JAA)が毎年主催しているものです。JAAは1907年に医師・高見豊彦博士が日本人墓地の購入と日本人の相互扶助を呼びかけ設立した日本人共済会をルーツとします。1914年に高峰譲吉博士を会長とし、高見博士を副会長にNY日系人会が設立されました。高見博士は、新島襄に憧れ、1890年熊本藩を出藩して1891年に大阪から米国に向け出航。コーネル大学医学部を2番の成績で卒業した秀才です。在学中の日本人男子の解剖に立ち会った際、番号だけで処理されてしまう現実を目の当たりにし、コロンビア大学学生会で在留邦人に相互扶助と親睦、日本人墓地の購入を説く演説をして協力を訴え、1912年に同墓地内に日本人のための土地を2500ドルで購入したのが日本人墓地の始まりです。現在同墓地には100人近い日本人、日系人と無縁仏の霊が眠っています。墓参会の式典にはニューヨーク総領事の森美樹夫大使、佐藤貢司JAA会長、岡田雅彦ニューヨーク日本人学校校長、岡本徹ニューヨーク育英学園学園長、滝田佳功NY日系ライオンズクラブ会長ら30人余りが参列しました。その日本人墓地の石碑から歩いて1、2分の所、マンハッタンを見下ろす小高い丘の上に高見家のお墓もありました。高見博士の墓前で、森大使は「日本人男子の解剖に立ち会った際、番号だけで処理されてしまう現実を見て、ではそこから日本人のお墓を作ろうという発想にはなかなか思い至るものではない」としみじみ。公共交通機関で行きずらい場所とあって、私もニューヨークに37年もいて、ここのお墓に来たのは今回が初めてでした。ニューヨーク近郊には、野口英世の墓や、高峰譲吉の墓、ニュージャージー州ラトガース近郊には幕末から明治初頭にかけて300人余りの大量の日本人留学生を受け入れたラトガース大学で留学中に亡くなった日下部太郎ら日本人留学生ら7人の墓、その隣に初代NY総領事の子供の墓などもあります。小さい子供の墓を外国の地に残す時に、せめて同じ同胞の日本人の側で眠らせてやろうとの親心でしょう。メモリアルデーは日本のお盆みたいなものなんですねきっと。亡き人を偲ぶ。先祖を偲ぶ。真夏日の太陽の下、ソプラノ歌手、田村麻子さんの「おぼろ月夜」の美しい歌声が、墓石の間を縫うように流れて行きました。それでは、みなさん、よい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)