「左右対立は過去、実務型政治へ向かう日本」

あめりか時評閑話休題 冷泉彰彦

 安倍政権の7年半は、日本にとって左右対立の7年半でもあった。まず左派論壇は一貫して政権には批判的であった。「アベ政治を許さない」というスローガンが象徴するように、要するに安倍政権の行うことは何でも反対というのである。その硬直した姿勢は「ネット民」から「アベガー族」という称号まで授けられほどだ。

 一方で政権支持派の姿勢もかなり硬直したものであった。例えばコロナ禍の中でPCR検査を拡大すべきと医療現場から提案した医師に対して「安倍政権に逆らうものは許さない」としてツイッターで「炎上」させたケースなど、全く政治的でない発言まで政権批判とみなされて叩かれるということまで起きた。

 安倍政権の実際の政策はといえば、アメリカから遠望している限りにおいては、どう考えても中道実務政権にしか見えない。オバマ前大統領との日米相互献花外交、朴槿恵前大統領との日韓合意(残念ながら韓国側の事情で消滅)、上皇陛下の申し出られた譲位案を整然と実現したこと、中国やロシアとの良好な関係に努力したこと、どれを取っても仮に左派政権が進めようとしたら、右派世論の猛反対に遭っていたと思われるテーマばかりだ。けれども、保守イメージを巧妙に使って落とし所を外さなかった。またアベノミクスによる金融緩和政策は、経済政策としては超リベラル政策にほかならず、当時のオバマ政権も高い評価を与えていた。

 2016年にアメリカでトランプ政権が登場し、アメリカ政治では左右の罵倒合戦が激しくなった。日本の政治風土も、それに似た対立があるという解説も多いが、対立は表層だけであって、実務の部分では中道政治が機能していた。

 世論の意識も同じであって、現在大きな問題となっているコロナ禍への対応がいい例だ。アメリカの場合、ロックダウンやマスク着用を進める立場は中道から左派であり、反対に右派は自由を根拠に感染対策に反対している。ところが日本の場合は、感染拡大に留意しながら経済活動の再開を慎重に行うという政府の姿勢には幅広い支持がある。世論調査では不満という数字が出るが、あれはコロナ禍そのものへの苦しみの反映であり、政府の政策が不信を買っているのではない。

 興味深いことに4月に日本で非常事態宣言が出た際に、これを強く批判したのは左派と右派の双方であった。左派は全体主義的な強権発動への反発から、そして右派は経済優先の立場から「コロナはインフルより弱毒」などといった強引な主張を繰り返していたのである。つまり、多くの日本人は現実と向かい合う中で極めて常識的であり、左右対立というのは、実はネットや活字という抽象的な世界のもの、しかも参加していた人数は決して多くなかった。つまり、左右の論客というのは、同じように現実とは乖離していたし主張も似通っていたことになる。

 そうした世相の中で登場した菅政権が、イデオロギー色の薄い実務型として世論から高い支持を受けているのには、こうした背景がある。考えてみれば、安倍政権の7年半で、表層ではイデオロギー対立が拡大したように見えるが、実際のところでは、右も左も現実から遊離していった中で、世論の中には中道的な思考方法が根付いていった7年半だったとも言える。

 菅政権は当面は官公庁の「縦割り行政」や非効率を改革すると強く宣言している。改革が実現するか、また民間にも改革が波及して日本経済が再び活性化するかどうかは楽観を許さない。けれども、不毛な左右対立の時代は、日本の場合は過去のものとすることができそうで、これは危機の時代においては心強いことだ。

 ちなみに突然発生した学術会議への介入騒動は、宇野重規、加藤陽子といった一級の知性が巻き込まれてしまい残念だが、あれは杉田水脈議員に反省を求めた動きを帳消しにする計算と思われる。全く賛成はしないが、菅政権もまた実務型政治を進める上では保守世論を封じる必要を感じているのであろう。

(れいぜい・あきひこ/作家/プリンストン在住)