編集後記
みなさん、こんにちは。あの日の朝も秋晴れを思わせる青空が広がっていた。それが一瞬にして火炎の地獄に変わった。2001年9月11日の米国同時多発テロで2977人、日本人24人が犠牲となった。現場となったグラウンドゼロには、世界貿易センタービル跡地を模ったメモリアルの滝の池が南北に二つある。滝の周りには犠牲者全員の名前が刻まれている。その南滝の東側、セクション44と45に日本人犠牲者の名前が12人まとまって刻まれている場所がある。事件から25年という年月は流れても、あの日のことはまるで昨日のことのように思い出すことができる。
私はあの朝、ウエストチェスターのママロネックの自宅からメトロノース鉄道の通勤電車でマンハッタンに向かっていた。電車がイーストリバーを超えたあたりで車内にいた乗客の携帯電話が一斉に鳴り出した。「え?なんだって?」「オーマイガーッ」と何かあちこちで叫んでいる。乗客の多くが、グランドセントラル駅の1駅手前の125丁目のハーレム駅で下車して行った。私の携帯電話は鳴らなかったので、何が起きたのか分からず、またなぜ、多くの乗客がハーレムで降りて行ったのも分からなかったが、そのまま電車はグランドセントラル駅に何事もなかったように滑り込んだ。だが、ホームやロビーの様子が少しおかしい。皆足早に、小走りで駅の外に出て行った。その時すでに、世界貿易センタービルに1機目が突入していた。電車で鳴った携帯電話は、家族などからグランドセントラル駅やメットライフビルも危ないという警告だった。
まだ、そんなことも知らずに、マジソン街を歩いて五番街52丁目にあった会社に向かった。途中、47丁目のショーウインドウの中のテレビに群がるように歩道で見入っている黒山の人だかり集団に出くわした。何を見ているのだろうか、なんだか昭和の日本の力道山のレスリングの街頭テレビ中継の光景に似ているななどと、呑気に中の画面を見ると、世界貿易センタービルが真っ黒な煙を出していた。「えっ」と後ろを振り返ったら、本物の世界貿易センタービルからもくもくと黒煙が出ているではないか。ここでやっと大変な事故?事件が起こったことを悟り会社に走った。
当時私は、読売アメリカという読売新聞社の米国現地版の編集部の現役の記者をしていた。会社に着いても何が起こっているのかまだわかっていない。事件なのか事故なのか。デスクのカメラを2台肩にかけている時に、2機目が突入した。事故ではないことを誰もが知った瞬間だ。職業柄、写真を撮らなくてはならないと思った。あの黒煙を出しているワールドトレードセンターの写真を最も確実に明確に撮影できる場所はどこかを考えていた。ロックフェラセンタービルの屋上(現在のトップ・オブ・ザ・ロック)にあったレストラン、レインボールームの窓から撮影したら、手前にエンパイアステートビルがあり、その後方、はるか向こう側に煙を出す世界貿易センタービルが撮影できるのではないか。ニューヨークであることも一目瞭然のアングルだ。それで行こうと迷わずに「写真撮ってきます!」と会社を飛び出す直前に、呼び止める声があった。「三浦さん、まだ上空に何機か飛んでいるかもしれませんよ。ロックフェラーも狙われたら危ないですよ」と。呼び止めたのは、今、週刊NY生活で一緒に仕事をしている相棒の久松茂だった。
結局、撮影よりも、午前中は会社をあげて号外を作ることに切り替えた。日本からのファックスを頼りに、世界貿易センタービルに入っている日系企業の名前を調べ、事件の概要を東京から取り寄せて、拡大コピーをしてテープで貼り合わせて巨大な壁新聞の「号外」を制作し、紀伊國屋書店の市橋店長に頼んでウインドウに張り出してもらい、レターサイズの号外は昼時のランチタイムの日本食レストランで社員が手分けして号外を配布する作業に回った。
私は、事件直後の写真を撮りに行かなかったことを事件から2か月くらい経ってから後悔することになる。月刊『文藝春秋』の表紙が、まさに私が狙おうとしていた写真を表紙に使っていたからだ。スクープ写真は撮れなかったけれども、行っていたら、今日、こうして、あれから25年経っても同じように新聞を作っていられなかったかもしれない。書かなかった記事は誰も知らない、撮らなかった写真は誰も見ない。
久しぶりに、グラウンドゼロに行って、日本人犠牲者の名前を見た。11日以降は、毎年、刻まれた名前に多くの花が飾られている。まだ、花は一輪もなかった。25年という節目の年の追悼式典。来米する日本人遺族の中には、90歳近い高齢の人もいる。これが最後のお別れになるのかもしれないとの思いを胸に抱いて。刻まれた名前もまた同じ思いで待っている。シャッターを切りながらそんな思いが伝わってきた。刻まれた名前の魂まで撮影できているのか、普段は、女の顔ばかり撮っているような私だが、それではカメラが許さない。今週号の1面で掲載しています。それではみなさん良い週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)
