世界23か国68都市で描く
ニューヨークの街角に突如として現れるグラフィティアート。その発祥の地、ブロンクスを拠点にこれまで世界23か国68都市で壁画を描き続けている日本人女性がいる。SHIROさん(49)。描く「ミミ」という名前のキャラクターは、すでに国際的に有名で、女性の強さと女性らしさの象徴だ。そのインパクトは一瞬見ただけでハートに飛び込んでくるほどの迫力だ。
2002年に単身ニューヨークに移住し、日本とニューヨークを行き来した後、2013年にアメリカのアーティストビザを取得、21年に米国のアーティストグリーンカードを取得した。現在は24時間フルタイムのプロフェッショナルアーティストとしてニューヨークを拠点に活躍している。制作は、地域団体や行政、NPO、企業などからの依頼を受けて描く。
NY市内には、クイーンズのアストリア、マンハッタンのチェルシーとウエストサイド、そして先月描き上げたばかりのサウスブロンクスのマクドナルドの屋外駐車場の壁を含めて計20か所近くに作品が残っている。どれも自分で梯子をかけてスプレー缶で色を塗って1日か2日で完成させた。「人生を愛し、最大限に生きる。コミュニティーにアートを」。生き方そのものが、グラフィティアートだ。
(写真)8月に仕上げた壁画の前でピースサインするSHIROさん (8月27日、サウスブロンクスで、三浦良一撮影)
コミュニティのために壁画を描く
グラフィティ・アーティストSHIROさん

土砂降りの雨の中を自転車を漕いでやってきた。サウスブロンクスにあるマクドナルドの屋外駐車場に描いたグラフィティ壁画の前に立つ頃には雨も少し小降りになっていた(1面に関連記事)。2002年の来米以来、ニューヨークを拠点に現在までにインド、フィリピン、ブラジルなど世界5大陸23か国68都市を呼ばれるままに旅し、壁画を制作してきた。
SHIROさん(49)。本名は宮上晃子(みやかみ・あきこ)。出身は静岡県で、父親の転勤で焼津市の幼少期から中学までは神奈川県で転校ばかりしていた。幼少期からおたふく風邪の菌が入って右耳が完全に聞こえず、左耳も弱め。「そのためか小さい時から絵を描くのが好きでした。私のオリジナルキャラクター『ミミ』は今思えば寂しかった子供時代に生まれたイマジナリーフレンドだったんじゃないかと思います」。
高校の時に柔道をしていて、道場に大きな鏡があったので、そこでヒップホップダンスの練習を始めた。だが、柔道で右膝の前十字靭帯を完全断裂してしまった。「ダンスも諦めざるを得なくなり、その時のヒップホップダンスと柔道に捧げていた情熱がグラフィティに向いたんだと思います」と振り返る。
彼女は日本で看護師として17年働き、患者と向き合い、終末期も経験した。看護師としての彼女の経験は、すべての人生が限られていることを彼女に認識させた。この気づきから、彼女は世界中を旅し、彼女の「足跡」として壁画を作成するようになった。98年にスプレー缶で外で絵を描き始めて、2000年に映画「ワイルド・スタイル」を初めて見て、ニューヨークに行くと決めて看護師として仕事を頑張り、貯金をして2002年にマンハッタンで語学学校からニューヨーク生活を始めた。
2013年にクイーンズのファイブポインツという場所に描かれた21人の作家の絵がビルの新しいオーナーによって一夜にして白塗りに消されるという事件があった。その事件は集団訴訟に発展した。原告団の中にSHIROさんもいた。集団訴訟はアーティスト側が勝訴した。SHIROさんが和解金を手にした時、日本の母親が末期がんの宣告を受けた。1年働かずに帰国し、最後まで実家で看取った。看護師としての最後の患者が母親だった。NYに戻り、何が自分にできるを考えた。その結果、地域コミュニティーのためにグラフィティ壁画を描き続けることだと決心した。以来、自分のできるだけの時間を使ってヒップポップカルチャーのアートを、お金の出ない依頼でも、飛行機代だけは出してくれるような海外からの仕事も積極的に受けている。
アート壁画はグラフィティ、ブレイクダンス、ラップ、ヒップホップの4つの要素で成り立っている。SHIROさんは、有名な女流ブレイクダンサーのRokafellaと組んでファッションブランドShiRoka-LifeStyleも展開中。「OGとなった私たちがヒップホップのレジェンドおばあちゃんになっていく過程を若い世代に見せていきたいですね」とピースサインで笑顔を見せた。 (三浦良一記者、写真も)
インスタグラム@shiro_one ウェブサイトshiro1.com

