坂本龍一さん死去

米国のメディアが相次いで報道

 音楽家の坂本龍一さんが3月28日に71歳で亡くなったことが、4月2日に坂本さんのマネジメント会社「キャブ」などにより公表されると、米国のメディアも相次いで報道した。日本で第一報が出るや否やニューヨーク・タイムズ(電子版)は緊急ニュース扱いで「オスカー受賞の日本人作曲家坂本龍一が71歳で死去」と報じた。同紙は音楽活動から私生活、「反核活動家」だったことも含め、その人生を詳細に綴っている。

全米各紙「世界の坂本」死悼む

ブルックリンのレコード店にファン殺到

 音楽家の坂本龍一さんの死は、瞬く間に世界に広がった。ニューヨーク・タイムズ紙は音楽活動から私生活、「反核活動家」だったことも含め、その人生を詳細に綴っている(1面に記事)。

 CNNは「オスカー受賞者」をヘッドラインに入れ、AP通信も「音楽家、映画音楽作曲家の坂本龍一さん死去」と速報した。米国で坂本さんは、1983年の映画「戦場のメリークリスマス」への出演と音楽で注目され、1987年の映画「ラストエンペラー」でオスカーとグラミーの両賞を受賞。「シェルタリング・スカイ」(1990年)、「リトル・ブッダ」(1993年)などのほか、近年では2015年のレオナルド・ディカプリオ主演の映画「「レヴェナント:蘇えりし者」の映画音楽を担当したことで一般にもよく知られている。

 一方、1978年に結成され米国でも成功を収めたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のキーボード奏者として活躍したことを強調するメディアも多かった。ワシントン・ポスト紙は「境界のない作曲家」とし、「彼の生み出したテクノポップが任天堂のゲーム音楽にも影響を与えた」と紹介している。音楽誌ローリング・ストーン誌は「日本の電子音楽のパイオニア」であり「ヒップホップ系のミュージシャンにも大きな影響を与えた」としている。YMOは1980年のワールドツアー中に「ソウルトレイン」にも出演した。ビルボード誌も「オスカー受賞作曲家でイエロー・マジック・オーケストラのメンバー」とのタイトルで報じた。3人組のYMOのドラマーだった高橋幸宏さんが今年1月11日の70歳で他界しており、それに続くメンバーの死去となった。ビルボード誌は音楽的経歴はもちろん、NYタイムズなどと同様に政治的活動のことにも触れ、「平和主義者および環境活動家としての足跡も残した」と評している。

1日でLP50枚完売

 日本で70年代、80年代に発売されたLPレコードをブルックリンで販売しているFACEレコード(176  BORINQUEN PLACE BROOKLYN、電話917・909・1902、営業時間木曜〜日曜、午後1時から8時)には、坂本の訃報が飛び込んだ2日から全米のファンからの注文が殺到した。

 ライディーンなどのヒット曲が収録されたイエローマジックオーケストラのLPが1日で店内在庫1枚だけを残して50枚が売れ、翌日までに全米からさらにネットで100枚のオーダーが入った。同店は東京に本社があり、日本で販売された当時のLPをほぼ新品に近い綺麗な状態で日本から輸入しているため、狭い店内は坂本のLPを求めるファンで埋め尽くされた。翌日、空いた棚に坂本のさまざまなLPを並べながら店長の間宮祐一さん(46)は「本当に古い時代からの坂本龍一のLPがあって、アメリカ人のお客さんは皆さん驚かれ、新品なのかって聞かれますが、日本人はレコードを大切に扱っているから、この状態を保てている」と答えているという。