フランスとスペイン巡礼

100日で1600キロの道行く

NJのハリー西谷さん

 ニュージャージー州在住の日本人、西谷尚武さん(79、通称ハリー西谷さん)が、フランス・スペイン巡礼1600キロの旅を昨年達成し、このほど本紙に道中の思い出などを語った。(写真上:7月24日、スペイン・アラゴンの道にて。左前方の集落はウンドゥエス・デ・レルダ村)

 西谷さんの生家が四国88か所の巡礼道に面していたので、幼少の頃から巡礼を見て育ったという。成人すると、四国88か所を回るのが家のしきたりだったが、西谷さんは、関西学院大学を卒業後シャープに入社し、すぐに海外駐在に出たので、2003年に同社米州統括事務所長を最後に定年になってから1200キロを全部歩いて回ったそうだ。2018年に渡米50年記念の際にも歩いて回った健脚の持ち主だ。 

 カミノ・デ・サンティアゴについては、2010年ごろ友人から聞き「ああ、ヨーロッパにも巡礼道があるのか、それならぜひ歩きたい」と2013年、古希記念に、フランスのトウルーズから、1200キロ彼方のサンティアゴを目指したが、ピレネー山脈が綺麗に見えているところで車にはねられ一週間入院し、やむなく断念。2回目はフランスを避けて、2015年仏西国境の町から800キロ彼方のサンティアゴに無事到着した。しかし、やはりアルルから出発する1600キロのアルルの道を歩きたくて2020年、喜寿を記念して再度巡礼を計画。しかし世界的な新型コロナ・ウイルス蔓延のためにやむなく延期、昨年やっと念願が叶った。

(地図出典:ウィキペディア)

 5月28日、イベリア航空でパリに到着し、そこから南仏のアルルに向かった。2日間準備をして、6月1日に一歩を踏み出した。7月14日にはピレネー山脈の麓に到着。「ヨーロッパと呼んでいいのはピレネー山脈まで」とルイ16世が言い、「ピレネーを越えるとそこはアフリカだった」と ナポレオンが言ったように、7月18日に国境のピレネーを越えると、景色は一変した。フランスでは緑が主体だった景観は、峠から先は、茶色が主体となった。スペインは、大部分が乾燥地帯だった。

 峠から一週間、7月25日にハビエル城に着く。この城は、日本人にとっては大事な場所だ。この城で、日本にキリスト教を最初に布教した、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが1506年に生まれた。彼はその後パリに行ってイグナチオ・デ・ロヨラと出会い、イエズス会を結成。その後紆余曲折を経て1549年に訪日している。1549年といえば、織田信長15歳、豊臣秀吉12歳、徳川家康6歳の頃だ。主に山口県で布教した。 

キリスト教を日本の武士に説くザビエル(ハビエル城内に展示されている掛け軸から)

 最後の10日余りの間は、レオン山地などの山を越えて歩くことになり、今までの平原歩きとはかなり異なって、起伏の多いカミノになった。スペインのカミノの中での標高1505メートルにある鉄の十字架やガリシア州の山頂にある村を越えて9月8日には、サンティアゴに到着し、そこで巡礼証明書と、公式距離証明書をもらった。翌日正午のミサに出席し、9月10日、サンティアゴ発マドリッド経由のイベリア航空で米国に戻った。

 今の気持ちは「私は常に次の目標に進みます。次の目標は、アルルからローマへの1300キロ巡礼、四国88か所に番外霊場20か寺を加えた四国108か所1500キロ巡礼の2つです。趣味でやっている合唱の目標は、今年8月、ウェストミンスター寺院で歌うことです」と元気に語った。巡礼の紀行日誌は西谷さんのブログ https://harrynishitani.com/ で見ることができる。