海外取材で現場主義を貫いて

ロイター記者・映画監督

我謝 京子さん

 我謝(がしゃ)京子さんは、2001年4月、それまで日本で勤めていたテレビ東京を退社し、ロイター報道記者としてニューヨークに赴任した。その年の9月11日に米同時多発テロが勃発、グランドゼロ近くのアパートに戻れなくなった被災経験が、後に心の復興をテーマにしたドキュメンタリー映画を製作するきっかけにもなった。2008年 第1 作「母の道 娘の選択」、11年「311:ここに生きる」は東京国際女性映画祭、NY国際インデペンデント映画祭などで招待上映された。18年には現代日本と江戸時代のスペインとを結ぶ歴史ドキュメンタリー映画「ハポンさん」も手がけている。 

 職場では、10日1日付の人事異動でニュースや特集の英語報道記者になった。これは、ロンドンの上司の判断で「取材や原稿書き、編集など日本語だけでなく以前から英語でやっていたこともあるのでできると思ったのでしょう」と我謝さん。仕事は世界に向けて、米国、特にニューヨークのさまざまな現場の状況を取材して原稿にして編集し、もちろん英語のナレーションをつけて配信している。

 1987年にテレビ東京新卒採用で最初から経済報道部記者でスタート、そこから特集班やドキュメンタリー担当になり、ロイターでは主に株式市場の取材を多く手がけた。テレビ報道に携わって30年以上の大ベテランだ。

 この仕事のやりがいは「何度、取材して、何百本と特集を作っても、毎回、これでよかったのか、いかに伝えたら良いのかと、創意工夫に終わりがないこと。生きがいは、娘を含めて若い世代を応援して、少しでも私がやってきたことが役に立つことでしょうか」と話す。

 テレビの仕事と映画製作を離れれば、家庭では母親であり、私生活ではお茶の先生でもある。日本在住の母、清水宗美(クミ子)さんとはこれまでブルックリンの桜祭りで10回以上もお点前を観衆の前で披露している。「2022年夏には日本に『お茶を知る旅』を弟子たちと企画しています。とても楽しみです」とすでに目は2年先に。

 人生のモットーは「知ったかぶりしないこと、直感を信じてみる」ことだそうだ。「取材する側も取材される側から取材を受けているようなもの。相手の心に触れないと心を開いて語ってくれない」。取材前に描いた予定原稿より現場でしか知ることのできない事実を大切にする。それを取材姿勢として貫いている。

 仕事と家庭以外では、母校上智大学の学生を毎年、年2回受け入れロイターで研修機会を提供している。同窓会のNYソフィア会会長職や役員は引退したが今も楽しく会員として関わっている。

 「人生100年時代。90代までは現場を大切にする現役監督、そして記者として活動が出来たら良いなと思います。その世代になって初めてみえる風景もあると思うからです。米国ではRBGもイエレンもクリントンも孫がいるおばあちゃんでありながら現役。私もおばあちゃんになっても現役で頑張りたいですね」といつもの笑顔を見せた。(三浦良一記者、写真はコロナ以前に津山恵子撮影)