自由に自然に自分の俳句を

俳人

太田 風子さん

 本名は太田房子さん。俳句仲間の間では「風子さん」と親しみをこめて俳号で呼びあう、ニューヨークの俳壇を開拓し支えてこられた大先輩でもある。

 風子さんは先に来米していたご主人に続き1967年に来米、注文家具、インテリア改装などを請負う「たんすや」を始めた。その後1990年から、倉庫街の雑多な空気が残るソーホーでアートギャラリー(Cast Iron Gallery)を経営していた。2人の娘さんたちも結婚し、孫たちも生まれ、家族が確実にアメリカに根付いていくのを見届けたのち2012年に帰国。今は日本とアメリカ、家族それぞれ忙しく過ごされている。風子さんは俳句三昧の毎日だそうだ。

 風子さんが俳句を始めたきっかけは、「たんすや」で一緒に働いていた美術家の木村玲二さんに「こんなのがあるけど、やらない?」と俳句会「方舟」に誘われたことだった。「中学生以来だなぁ」と何気なく始めて、気が付けば40年の経歴。ニューヨークでは気のおけない仲間たちと、句会ならぬ「食う会」とワイワイ冗談を言い合いながら楽しんだ。

 帰国してからもますます俳句の活躍の場をひろげ、今では俳句結社「三河」の同人であり、「両町句会」「鹿垣句会」「ペンキ句会」「名古屋句会」、ニューヨークでは「星の島句会」「ハコ句会」「NY方舟」など10もの句会に参加し、「未来吟行句会」「十六夜句会」の2つの句会の世話人として仕切る傍ら、「ホトトギス」を代表する稲畑汀子さんが審査員を務められた俳句賞に入賞するなど、多くの賞を受賞した。

 今新年は「渓谷の風に錆ゆく冬紅葉 太田風子」の句が、第五回山里俳句コンテストの優秀賞(岡崎市教育委員会賞)に選ばれた。17文字の中に、冬のひなびた風景に紅葉が揺れる様が目に浮かぶ。

 風子さんは、自由に自分の言葉で俳句を作りたいと言う。それは厳しいまでに基本をしっかりと身につけたからこそできる、しなやかさであり、おおらかさであろう。風子さんの人となりに触れたことのある人なら、直ちに納得できる。

 「ニューヨークにいたころは、仕事や家庭のことや趣味のタップダンスなどで忙しくしていたけれど、今は俳句に専念しています。日本各地やニューヨークとも繋がるネット句会だけではなく、皆で集まって句会も開催し、『太田サロン』などと呼ばれています」とにこやかにおっしゃる。そのエネルギッシュなバイタリティーが、人を惹きつけ、頼りにされる源だろう。(フェイダーちえ)