夢の世界に躍り出たマドンナ

フレキシンダンサー

清水 佑美さん

 岐阜県からニューヨークへ来て3年半が経った。これまで米運動靴大手プーマ(PUMA)やアパレルのトミー・ヒルフィガー(Tommy Hilfiger) のモデルを経験し、ニューヨーク・ファッション・ウィークでのランウェイモデルも経験した。本業はダンサー。

 ダンスのジャンルはFlexn(フレキシン)というブルックリンから生まれたもので、その中でも彼女のスタイルはGliding(グライディン)という足を使った動きがメイン。イメージはマイケル・ジャクソンのムーンウォークと言えばなんとなく分かるだろうか。NYへ来る前はヒップホップやハウスダンスをメインにしており、ヒップホップのカルチャーが生まれたNYに憧れて来米。現在フレキシンを踊る日本ダンサーは、世界中で彼女とリサ・モラレスの二人だけだ。

 NYに来て数週間後にプーマのダンサーモデルパフォーマンスのオーディションにいきなり合格した。英語も全く話せないままでのリハーサル、NYFWでのパフォーマンス、ランウェイ・モデルを経験したが、英語も話せないので友達もできず、ディレクターが何を言っているのか、今どう進んでいるのか理解するのに必死だった。米国では日本よりも自己主張がはっきりしている国なので、その自己主張が出来なかったのが原因なのか出番を減らされそうになったりした。そこから泣きそうになりながら必死にGoogle翻訳で、もっと出たいという意思を伝え、ソロのパートをもらう事がやっとできたという。しかしそのリハーサルが「本当に心も体も辛くて泣きながらほぼ毎回帰ることばかりだった」。が、ショーを無事に終えたとたん苦しみは達成感に変わっていた。

 小学4年生から高校までバスケットボールをやっていた。高校は県立岐阜商業高等学校(県岐商)に入学。部活動がとても盛んな学校で、野球部は甲子園の常連校、多くの部活が全国トップクラス、オリンピック選手やプロスポーツ選手を多く輩出する名門校だ。不登校の生徒がクラスに来られなくても保健室には来れて、保健室の先生にならなんでも話せるのを見て、自分も誰かの心の支えになれたらと思い岐阜聖徳学園大学短期大学部養護教養課程に進んだ。だが、入学時にキャンパスで偶然見たダンスサークルの先輩が踊っているのがカッコよくて、そのままダンス部に入部したのが運命だった。小さい頃から海外に行くということ、トップを目指すことを意識していたから今がある。タイムズスクエアに自分の姿が流れることが夢。夢は実現するために見るものだと知っている。(三浦良一記者、写真は本人提供)