その1「アンコール・プロヴァンス」

ジャズピアニスト浅井岳史の2019南仏旅日記

 開け放ったキッチンの窓からは緑の山に白い岩肌と赤茶けた煉瓦の白い石の建物が見える。まばゆい太陽光なのに心地よい風がそよぎ、遠くに蝉の鳴き声が聞こえる。南仏プロヴァンスの夏だ。私は旅が好きで、常に新しい場所へ出かけていくのだが、何度でも出かけたくなる同じ場所もある。南仏プロヴァンスだ。
 プロヴァンスと最初に出会ったのは東京で会社勤めをしている時だったと思う。当時六本木のお洒落な仏レストランに行けば、○○プロヴァンス風という料理を目にした。ボストン留学時代には英国人作家ピーター・メイルの「プロヴァンスの12か月」という本を読んで、いつか自分もプロヴァンスに行き、咲き誇るラベンダーの写真を撮ることが夢の一つとなった。
 私には厄年があり、やることなすことすべて上手くいかない大変な時期があった。それが極限に達した年の瀬に、厄払いを願って私たち夫婦はクレジットカードのマイレージを貯めてこのプロヴァンスにやってきた。それは冬であったが、美味しいワイン、奇跡的なトリュフ、ニースの美しい夕陽、十字軍の砦、人生を変えてしまう素晴らしい旅となった。それ以来、私たちは毎年のようにこの地を訪れるようになった。と言っても、最近は演奏のツアーでフランスに来ながらプロヴァンスでゆっくりできなかったので、今年はゆったりと2週間、文字通りバカンスを決め込むことにした。
 ピーターメイルは本のおかげであまりにもたくさんの人が押し寄せるようになってしまったので、しばしNYのロングアイランドに逃げていたそうだ。だが、プロヴァンスの生活が恋しくてまたやってきた。そして著した本が「アンコール・プロヴァンス」。
 7月14日、昨夜のクラブ演奏で疲れていてまだ眠りこけたいところを起きて荷造り。なぜにいつも出発当日の荷造りとなってしまうのだろう。最近はIoTとやらで、世界中どこからでも玄関に対応できるドアベル、常時家と庭を監視できるカメラシステム、毎日畑に水を撒いてくれる家庭用灌漑システムなど、荷造りよりも家のセキュリティーシステムのセットアップに時間がかかった。
 ウーバーでJFKに向かい定刻のフライトで8時間の末に、お馴染みのニース国際空港に到着。途中機内から見えるアルプスが美しかったが、着いてみると雨。初めて雨のニースを見た。
 例のごとくほとんど寝ていないのでかなり眠たいのだが、レンタカーをピックする。若くてとてもフランス的で素敵な女性が親切に対応してくれる。予約したフィアット500が小さすぎるので、プジョー208を選んだら非常に喜んでくれた。本当はVWが理想なのだが、彼女の可愛い顔から湧き出るフランス愛に絆された(笑)。フランス人はドイツ車嫌いだ。
 雨のなか、高速道路を3時間ドライブ。徹夜明けでフランスに着いて、いきなりこの移動はきついが、全体の行程を考えると仕方ない。アビニヨンを通過する頃には南仏の太陽が戻ってきた。夕陽のなか、目的地ウゼ(Uz)市に到着。レントしたアパートの主人が迎えてくれて、親切に説明をしてくれた。おしゃれな歴史の香る建物の3階のフロアを全部貸してくれた。ベッドルームが2つ、キッチン、トイレ、バスルーム、リビングルーム、ダイニングルーム、迷子になるかと思うこの広さにアーティスティックなデコの並ぶ宮殿の様なフロアである。中世の石の街に、このアパート、破格の待遇である。
 そして、窓からは石造りの中世の町並み、反対の窓からは瓦屋根越しに時折り岩肌を見せるプロヴァンスの山が見える。風が通り抜けると本当に気持ちが良い。カレンダー上では2日間であるが体には長い1日で、今朝NYを出発してその日の夕刻にプロヴァンスに着いたのは奇跡のように思える。
 早速薬局で今回忘れてしまった歯ブラシ、スーパーで野菜と果物と水を買い、近くの安食堂でバーガーを食べる。店のおばさんがとても優しい。英語はゼロであるが、下手なフランス語でのコミュニケーションが楽しい。午後10時を回るというのにかなり明るいので街を散策する。道が狭く、階段と小道でできた白い中世の石の街には立派な教会と絵になる城が見える。明日来よう。
 こうして2週間のプロヴァンス生活が始まった。豪華なアパートに着いてベットに横たわったらそのまま寝てしまった。(続く)
浅井岳史(ピアニスト&作曲家)www.takeshiasai.com