その11:「出エジプト記」

ジャズピアニスト浅井岳史のエジプト旅日記

 エジプト最後の日は、カイロから3時間電車に乗ってやってきた地中海沿いの街、アレクサンドリアでコンサートをする。アレクサンドリアは紀元前300年にアレクサンドロス大王がエジプトのファラオになって作った街で、後にそれはヘレニズム文明の中心地となり、またキリスト教の五本山として名を馳せた。ローマと並ぶキリスト教の本山?回教徒の国エジプトにあってそれは嘘言のように思えるが、そうだったのだ。私たちが演奏する場所はJeSuite教会。フランシスコ・ザビエルも所属したイエズス会である。コンサート会場はその施設の中にある歴史的なホール、なんとウッディー・アレンの映画「カイロの紫のバラ」の撮影に使われたイタリアン・シアターである。ブルットナーのピアノであった。これはビートルズが「レットイットビー」で使ったピアノだ。早速主催者の人に「レットイットビー」を披露したら喜んでもらえた。

 近年の革命で軍事政権が誕生し人々の政府への希望を奪ってしまう前までは、実はカイロは作曲家を多く輩出する芸術の華やかなる街であったらしい。確かに、このシアターを見るとその片鱗に触れたように思う。サウンドマンが、このシアターに隣接してレコーディング・スタジオを作っている様子を私に見せてくれた。素晴らしい!応援したい。コンサート会場は一杯の人が来てくれた。演奏は楽しかった。終わってから、たくさんの人が来てくれて話をした。

 お客さん、主催者の方々、それにアレクサンドリアの街が非常に好意的で嬉しかった。これほどまで良い街であればもう少し長居したいところだが、9時半の電車でカイロに帰らなければならない。速攻で駅に向かう途中、海外青年協力隊で来ている日本人と非常に上手に日本語を喋るエジプト人の2人の若者と友達になり、電車の時間ギリギリまでジュース・スタンドの前で立ち宴会になった。そこで奢っていただいた大ジョッキ一杯のマンゴージュースが美味しくて、NYでも演奏が終わるとマンゴージュースが飲みたくなるように脳が学習してしまった。

 まだまだ遊んでいたいが、明日の朝空港に行きNYに帰らねばならない。残念だが、さよならを言ってホームに向かう。排気ガスが充満した暗いホームで、始発なのに30分遅れる電車を待った。ということは地下鉄では帰れないということか。電車がさらに遅れてカイロの到着は午前1時半を回っていた。再び悪夢のようなカイロの雑踏の中に出て、頑張ってUberを拾う。こんな時間に街が大混雑しているのは犠牲祭が近いからであろう。車のラジオから流れる低いコーランの読経を聞きながら午前2時過ぎに家に到着。

 あれだけ辛い思いをしたカイロ滞在だが、帰るとなると少し寂しい。実は本当のエジプトの魅力はまだ見ていないと指摘されていた。モーセが煙の中で啓示を受けたシナイ山の魅力、ダハブの海の美しさ、砂漠に面する海は水が純粋でそこにはサンゴ礁があり熱帯魚がいるそうだ。スエズの海、シナイ半島の魚は美味しく、2時間かけて買い出しに行くそうである。今回は温度が50度以上になるので行かないことにしたが、王家の谷があるルクソールもいつか行きたいと思う。それに加えて、今回出会った政府関係の日本人の方、エジプトのために働く素晴らしい人たちであった。何かの形で私も応援させていただきたいと思う。そして、アレクサンドリアの海風とマンゴージュース。

 同時に今まで考えもしなかった事をたくさん学んだ。エジプトの直前に私は南仏でマグダラのマリアを追いかけた。イエス・キリストには妻がいて処刑を免れて南仏のカマルグに船で渡り、その子孫の血がメルビング王朝に流れているという仮説がある。映画「ダヴィンチ・コード」の背景である。それを教外のために隠したというカトリックの陰謀がテーマだけに、映画には一部のカトリック信者たちが抗議をしたとは聞いているが、それで誰かが死んだわけでは無い。むしろショービジネスに貢献し経済効果をもたらした。その言動の自由と宗教から独立した経済活動の自由、それがアメリカやG7諸国にはある。そこに、6世紀に書かれたコーランにいかなる現代的な解釈を禁じている宗教との差が国の発展という大きな格差をもたらしたのではないかと私は感じた。(因みに現在のエジプトのGDP per Capitaは日本の6%である)

 アレクサンドリアとカイロの途中にマンスーラという街がある。そこは第7回十字軍が大敗を喫した場所である。エジプトではその時のスルタン、サーリフと彼の死を隠して裏で戦い続けた妻シャジャルがヒーローである。奇しくも私がカイロで夜遊びをしている間にテロが起こった。私はテロの根源は創成期にさかのぼり、十字軍のツケは今だにあると思う。ユダヤ教とイスラム教とキリスト教は全て同じ聖地を持つ兄弟なのだ。そこに歴史と圧倒的な経済格差が合間ってジハードが起こるのだ。強烈な人間の性を感じる。

 帰国の荷造りをしてシャワーを浴びると出発まで1時間になっていた。僅かの仮眠でUberを拾い空港に向かう。途中の朝焼けが、ヒビの入ったフロントガラスに眩しく映った。エジプトがさよならを言ってくれているように思えた。

 シナイ山で啓示を受けたモーセは割れた海を渡って民をエジプトから脱出させた。旧約聖書の「出エジプト記(Exodus)」である。この強行軍の末にエジプトを出られる安堵感と、少しずつ育ってきたエジプトへの愛着が混じる不思議な感覚があった。それが私の「出エジプト記」であった。(終わり)

浅井岳史(ピアニスト&作曲家)www.takeshiasai.com