その6:コプト教寺院

ジャズピアニスト浅井岳史のエジプト旅日記

 本日の大目玉、ピラミッド観光から無事に家に着くと、演奏の相棒から遊びに行こうぜとの誘いが入った。先日会ったモハメッドが案内してくれるという。エジプト4日目にして私は「ぼったくりに怯える、か弱い観光客」から、自分のアジェンダを持ち「意見をハッキリ伝えられる、強者観光客」へと変貌をとげようとしていた(笑)ので、マール・キルギスに6時半集合だ!と伝えたが、7時半にオールド・カイロと逆提案を食らった。みんなコプト教には興味がないのかなぁ。

 私は大ありだ。一人で電車に乗ってコプト教の寺院があるマール・キルギス(英語ではセント・ジョージ)に出かけることにした。コプト教とはエジプトのキリスト教のことである。AD42年、イエス・キリストの弟子であるマルコが直接布教した教えで、それ以来ずっとこの地で信仰されてきた。カトリックでもなく、プロテスタントでもない、言わば原始キリスト教なのである。我々は頭のどこかでキリスト教はヨーロッパの宗教で、イエス・キリストはヨーロッパ人であると思ってしまっている。実際に彼が生涯をかけて布教したのはエジプトとイスラエルで、彼の言語はヘブライ語であり、彼自身は中東のユダヤ教徒であったのだ。

 そしてこれも驚くべき事実であるが、ローマ帝国は地中海の周りのアフリカをも治めておりエジプトもローマ帝国であった。ローマのコロッセオでの剣奴の戦いに猛獣が登場していたのはそのためである。キリスト教はローマ帝国を通して中東からヨーロッパに伝わったのだ。ローマ帝国が、それまで迫害してきたキリスト教を一転して正教にしたのはAD400年、従ってこのエジプトもその頃はキリスト教国であった。が、6世紀にムハンマドが神から啓示を受け、以後「右手に剣、左手にコーラン」とイスラム教が布教されイスラム教国家になる。

 そこで十字軍なのだ。聖地奪回とは、もともとキリスト教国であったエジプトをイスラム教徒から奪いとるためであったのだ。だから、フランス王ルイ9世率いる第7回十字軍はプロバンスから船でこのエジプトにやって来たのだ。そして南仏からやってきた十字軍が暑さと病気で倒れて、カイロまでたどり着かなかった史実を、今私はこの暑さで水を飲みながら肌で感じた。

 十字軍遠征は失敗に終わり、エジプトはイスラム教国となる。人口の10%のコプト教徒は、ここで迫害を受けながら1400年もの間暮らしてきた。私のファンであるペンシルバニアのアメリカ人が、近所に住む、少年時代にエジプトから逃げてきたという医師の男性を紹介してくれた。彼はキリスト教の信仰が理由で、家族で迫害から逃れて着の身着のままでアメリカに移住した。その迫害の凄まじさは言葉にはできないし、言葉にするとさらなる迫害を受けるので、ずっと沈黙を辛い抜いて耐えてきたそうだ。

 教会のすぐ外には機関銃を持った兵士が駐屯している。教会の前には違うユニフォームで機関銃を持った男性が歩く。ひょっとしたらここがイスラム教とキリスト教の宗教戦争の最前線なのか。壁には手と手を取り合ったレリーフがいたるところにかかっていた。イスラム教徒との和合の願いなのであろう。私が着いたのは夕刻で、駅からも見える丸い聖堂が綺麗に黄昏の陽を反射している。この建物が丸いのは昔のローマの砦の跡に建てたからだそうだ。中に入ろうとしたら、もう終わりだと言う。残念そうな顔をしていたら、どういうわけか入れてくれた。この国は受付の人の気分で簡単に営業時間を変えてくれる(笑)。

  一歩入るとそこには、大浦天主堂のような立派な聖堂がある。マリア様やら騎士団の絵が掲げてある。このイスラムの国において、それは非常に不思議に思える。私はクリスチャンではないが、見慣れた風景にホッとする。聖堂の中には長いヒゲを蓄えた、ロマノフ王朝の怪僧ラスプーチンのような面持ちの歴代の伝道師の写真が並ぶ。そうしたら、同じ面持ちの人が出てきて、写真を撮っても良いと言う。中に入って教会の写真を撮らせてもらった。ゆっくりと観終わると、司祭さんが戸締りをした。私のことを待っていてくれたのだ。感激である。

 彼が私服に着替えて退場するのを観ながら、丸い聖堂の向こうに行ってみた。なんとそこには細い路地があり、恐々入ってみると、パリのセーヌ川沿いのようなスタンドにキリスト関連の書が並ぶ。さらには、崩れかけた建物が続き奥には墓地があった。一つ一つに十字架が掲げられている。夕暮れが迫る空には、大聖堂の十字架が空にシルエットを作る。さらに進むと大きな教会があり、なんとそこでアラビア語(だと思う)のミサが行われていた。しばらく外から見ていると、顔を隠していない女の子が一人退屈そうに出てきて、私に噛みつく代わりに(笑)近くで行われている家族のささやかな宴に合流した。

 私は今日、このイスラムの国に1400年間迫害に耐えながら暮らしている原始キリスト教の教徒たちを見た。(続く)

浅井岳史(ピアニスト&作曲家)www.takeshiasai.com