桜祭りと日本庭園で日米文化交流の歴史を学ぶ

フィラデルフィア、フェアマウント公園

 毎年恒例の「スバル・桜祭り」がフィラデルフィアのフェアマウントパークで4月6日から14日にかけて行われる。桜の見どころは、スクーキル川沿い、フィラデルフィア美術館から川の両側を挟む、ケーリー・ドライブとウエスト・リバー・ドライブ。桜祭りは1
週間かけて開催され、会場では、日本食を中心とした出店、日本映画上映会、クラフト・ワークショップ、コスプレ・コンテスト、創作寿司コンテストなどの催しが行われる。13日土曜には、満開の桜の木の下を走る、10キロ、5キロコースのスプリングジョギングを実施。最終日14日の「サクラサンデー(SAKURA・SUNDAY)」では、太鼓、ダンス、お茶などのパフォーマンスが園内の「Horticulture Center」で行われる。(大人15ドル、12歳以下無料、subarucherryblossom.org)。
 フィラデルフィアと桜の歴史は長く、米国独立150周年を記念して、1926年に数百本の桜の木が日本政府からフィラデルフィア市に対して贈られた。その後もフィラデルフィア日米協会が1998年から10年間にわたり植樹を続け、2007年には1000本の桜並木となり、桜祭りは、地元はもとより、郊外からも数万人が訪れるフィラデルフィアの風物詩の一つとして楽しまれている。公園には彼岸 (ヒガン)、染井吉野(ソメイヨシノ)、関山(カンザン)、寒桜(カンザクラ)など4〜5種類の桜が植樹されており、それぞれ開花の時期が少しずつ異なるため、お花見を長期間楽しむことができる。
 会場の中心となるのはフェアマウントパーク内にある、世界万博の跡地。1876年にフィラデルフィアで開催された万博には、開国間もない日本も参加した。日本パビリオンの跡地には、1958年に松風荘が移築され、その庭は米国では指折りの日本庭園として知られている。
 松風荘はもともと、1954年にニューヨークの近代美術館(MoMA=Museum of Modern Art)で行われた展覧会「House in the Museum Garden」シリーズの一環として建てられた。16世紀から17世紀に日本の住宅建築様式として定着した書院造を基本として、日本の近代建築家、吉村順三がデザインし、宮大工伊藤家の第十一代目棟梁、平左エ門が施工に携わり、庭園は京都竜安寺の六代目佐野旦斎が担当。1953年に名古屋で一旦建てられた後、解体し、檜皮屋根、柱、畳、庭園用の石材に至るまですべて梱包され、ニューヨークに運ばれて近代美術館で再度組み立てられた。近代美術館のフィリップ・ジョンソンとアーサー・ドレクスラーのキュレーションによって、書院造の松風荘は世界のモダニズム建築の発想の源の一つとして、マルセル・ブロイヤーのバタフライ屋根の住宅、グレゴリー・エインによる集合住宅のデザインと共に比較展示された。
 吉村順三は、同時期1955年に、前川國男、坂倉準三と共に東京都六本木にある国際文化会館(International House) の設計をし、この建物は2006年、文化庁が指定する「登録有形文化財」に登録されいる。また、ニューヨークにある現在のジャパン・ソサエティーの建物も吉村によるデザイン。愛知県立芸術大学(1966年)、奈良国立博物館新館(1972年)、長野県八ヶ岳高原音楽堂(1988年)、など、日本の伝統とモダニズムの融合を図った設計が高く評価された。浜田山の家(東京都杉並区 1965年)、田園調布の家・猪熊邸(1971年)、井の頭の家(東京都三鷹市 1970年) 軽井沢の山荘B・脇田山荘(1970年)など、環境に自然とたたずむ住宅の設計も多く手掛けている。吉村は生前、自身の建築に対する思いを、「建築家として最も嬉しいときは、建物ができ、そこへ人が入ってそこで良い生活が営まれているのを見ることである。日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとっては最も嬉しいときなのではあるまいか。」と1966年に語っている。
 現在、松風荘は、庭園のみならず、建物内にもガイド付きで入場することができる。歴史文化的建築物として地元で親しまれながらも、米国各地から、また日本からも建築・庭園ファンが訪れている。松風荘の縁側から見る日本庭園には、しだれ桜が植えられており、桜祭りの見どころの一つになっている。(横山由香/フィラデルフィア日米協会プロジェクト・マネージャー)