「ある愛の詩」で有名になったランチ・コート

 ライアン・オニールが亡くなりましたね。12月8日、享年82歳でした。R・I・P・(安らかに)。

 僕らの世代にとってはなんと言いましても1970年公開の『ある愛の詩』、そして73年公開の『ペーパームーン』などで良く知られた俳優さんでした。彼はテレビドラマの『ペイトンプレイス物語』で有名になりました。

 『ペーパームーン』では娘さんのテータム・オニールとの共演でも大きな話題となりましたが、振り返ればなんとすでに半世紀前の映画であり、御存知ない皆様も思いのほか多いのかも知れません。

 この時代、映画の世界、特に映画音楽の世界においてはフランスで大人気でして、『ある愛の詩』のテーマ曲もアンディ・ウイリアムスらが歌って大ヒットしたのですが、作曲は大御所のフランシス・レイでした。

 時代的にまだ学生運動が盛んな時期でもありましたが、『ある愛の詩』の舞台はボストン、しかもハーバード大学。そして英語の原題にはAがなく”Love Story”。でも邦題は『ある愛の詩』。邦題の方が情緒豊かな感じですかね?(笑)

 この映画、お金持ちのお坊ちゃま君と貧しいイタリア移民の娘さんとの純愛を描いたストーリーなのですが、ボストンなので冬は厳しい寒さ、で、ライアン・オニールが着用して話題となったのがシープ・スキンで創られた、見るからに暖かそうなコートであったのです。アメリカではシアリング・コートと呼ばれることが多い様です。

 昨今、毛皮はじめ動物の皮革を用いた衣料品につきましては大変厳しい世相ですが、このシープ・スキン製コートには文字通り羊の革が用いられてはおりますが、そのオリジンは食用の肉のために屠殺され、結果、当然捨てられることになる皮革を利用したものであったのです。コートを作るために羊が屠殺されたのではありませんでした。

 このタイプの皮革は実はアメリカ建国以前から主に北米原住民の皆さんに防寒用としてさまざまな形で用いられてきたのでした。よって、どちらかと言えばアメリカの西部において活用、知られて参りましたね。

 こうした事情であったからかどうか、このシアリング・コート、1970年代に日米双方で流行したのです。日本では「ランチ(牧場)コート」と言う商品名でしたが、アイビー・ファッションで一世を風靡したVANジャケット社の命名であったと言われております。

 私が初めてアメリカに来たのは1976年、建国200年の年でして、建国の歴史を見直そうという機運が強く、このコートはある意味とてもアメリカ的、とても暖かく、カジュアル感もあって気軽に羽織れることも人気の理由でした。ただし、やはりホンモノの皮革ですからお求めやすいお値段とは言えなかったのかもしれませんが、当時、タイミング良くコットン・スウェードと呼ばれます、厚手コットン地にスウェード加工、つまり起毛加工を施し、裏面を毛羽立たせた生地が市場に出廻る様になり、皮革よりずっと安価で軽量でもあり、人気に拍車が掛かったのでした。

 そしてついにはこのコート、デニス・ウィーバー演じるニューヨーク市警の警部マクロードという刑事ドラマ、テキサスからやって来てマンハッタンを馬に乗り、テンガロン・ハットを被り、このランチ、いやシアリング=シープ・スキンコート姿で悪人を追い詰めるドラマが放映される様になったのでした。日本ではNHKで放映され、宍戸錠さんがデニス・ウィーバーの吹き替えをされたかと。

 そしてこのコート、昨今再び注目されております。日本での通称「ランチ・コート」の影響を受けたのかどうか、アメリカの老舗の革製品のメーカーさんで”Rancher”という商品名のシープスキン・コートが登場しております。ブルックス・ブラザーズでも最新版で商品企画されておりました。それでは皆様、暖かくしてお過ごしください。ではまた次回。

 けん・あおき/日系アパレルメーカーの米国代表を経て、トム・ジェームス.カンパニーでカスタムテーラーのかたわら、紳士服に関するコラムを執筆。1959年生まれ。