チェルノブイリ2

国連アート探訪 ⑧ 
よりよい世界への「祈り」のシンボルたち
星野千華子

廃炉作業の騎士たち
福島を国連で思う

 廃炉作業のご案内をしていただいた職員の方々と食堂で昼食をご一緒しているときに、「廃炉作業、そして除染作業、福島をもとに戻そうというまだ人類がだれも成しえなかった事業に取り組まれて、とても感激したしましたし、みなさまのことを誇りにおもいます」と話しかけました。驚いた顔で私をみつめ、「そのような有難いお言葉をいただいてもよろしいのでしょうか?」と戸惑い気味におっしゃり、その肩が小刻みに震え何度も目頭をぬぐっておられました。

 実は、と取りだされた身分証明書ホルダーの中には、みなさん子供や家族の写真をいれておられました。「子供たちにこの作業を引き継がせない」「自分たちで終わらせる」そのような覚悟で作業をなさっていることを、その時初めて知りました。

 ドラゴンに挑む彼らに剣も盾もありません。

 それでも、真摯に作業に取り組む「騎士」たち(毎日2000人が作業に携わっています)。電気をお金さえ払えば、無尽蔵に使えると勘違いしている私たちは、この黙々と困難に向き合っている騎士たちにもっと敬意と感謝を払うべきであると強くおもいます。

 私たちが日々当たり前に手にしているものすべてが、誰かの尽力と、何かの犠牲(例えば地球環境)、によってもたらされていることを、このタペストリーのご紹介とともに一緒にお考えいただきたいと切に願ってやみません。

 と申しますのは、高校生だった時に社会の授業で、「脱ダム」問題にふれました。先生が「私は毎日寝る前にテレビや使わない家電製品のコンセントをすべて抜きます。これで1円分の電気の節約になります。」と話され、周りの女子生徒たちは、「そんな、面倒なことをする人とは、結婚したくない」と一斉に声をあげました。その時先生が、「そういう身近な努力を怠る人には、脱ダムの問題を語る資格はない」と厳しくおっしゃり、私たちはぐうの音もでませんでした。

 このタペストリーの左のキリストの涙が事故による悲劇とするならば、右に描かれている智慧の象徴であるフクロウは、私たち人間が国も民族もイデオロギーも越え、「智慧」を結集させることで、蘇っていく未来への希望のシンボルであり、その前に立つ私は、「自分の出来ることに心を尽くす」との誓約書であると思っています。

(筆者は、日本政府国連代表部勤務の幹部の配偶者でニューヨーク在住)