五木寛之は大の車好き

五木寛之・著

幻冬舎・刊

 作家の五木寛之が車好きだとは全く知らずにこの本を読んだ。1970年台半ばくらいから彼の名前を知るようになり、直木賞を受賞した『蒼ざめた馬を見よ』(67年)や吉川英治文学賞を受賞した『青春の門(筑豊篇)』(76年)などからは想像もできない、五木本人の青春と若き日から世に出て有名になるまでのクルマ遍歴が描かれている。

 登場する車は、シムカ1000、アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー、ボルボ122S(アマゾン)、BMW2000CSクーペ、シトロエン2CV、ジャガーXJ6、メルセデス・ベンツ300SEL6・3、ポルシェ911S、サーブS。どれも世界の名車と言われる車ばかり。20代に中古で手にしたシムカから物語が始まる。新しい車を買い替えるたびに新しい女性との出会いと別れがある。9人の女性たちを彩る9台の車。運転することの楽しさというものがかつてあった時代。車には顔があり、スタイルがあり、個性があった。車の名前を聞いただけで、そのスタイル、走る姿、聞いたことはなくてもエンジンの音までが想像できた。それを乗ることができた団塊の世代は幸せだったはず。

 放送作家、コピーライター、音楽作家と駆け出しで名前が世に出る前の五木の20代、30代の車と女性とのエピソードが、飾りなく、そして丁寧に語られ、一台一台の車の魅力と、登場する女性たちの魅力的な個性が描かれている。

 しかし、この本が、車を愛する一人の小説家によって自動車マニアのために書かれたものではないことは、読み始めればすぐに分かる。車との出会い、登場する女性たちが時代を映す鏡としての役割を担っている。それにしても本当にこんなに素敵な女性たちとの出会いと別れがあったのか、それぞれの車と女性たちとのドラマに引き込まれていく。表紙、各章の挿絵が安西水丸なのもいい。時系列に乗り継いだ車への愛情表現が散りばめられている。アルファロメオは「中世から一足飛びに現代にやってきたイタリア人。近代的自我の毒から逃れている彼らは、知性なんていうものを、てんで問題にしていない。あくまで本能に忠実に、美とスピードだけを目的に車を作り上げる」と記述する。ドイツ車のBMW2000CSを大切におそるおそる走っている五木に、助手席で車のことなど全く知らない素振りをしていたしとやかでおとなしい貴婦人のようなフォトグラファーの女性が、運転を代わった途端に「彼女の白い手がナイフのように閃くように動き、膝頭が揺れ、エンジンが吠え、ブレーキの焦げる匂いがした。回転計の針が引きつるように跳ね上がるとそのたびに強烈な横Gが僕の体を抑えつけた」。彼女は泊まったホテルの朝、車のフロントウインドウのワイパーの下に白い封筒を残して姿を消していた。置き手紙には「2000CSを大切にし過ぎないでください。バイエルンからきた貴婦人の体の奥に隠されている情熱を、忘れないで欲しいのです」とあった。ああ、美しき女性たちよ、そして美しき車たちよ。車を運転したくなる本だ。   (三浦)