日・韓・朝という歴史的難問

西村 秀樹・著
三一書房・刊

 ロサンゼルスにはチャイナタウンやコリアンタウンが存在する。オリンピック・ブルバードの両脇のショッピング・モールはハングル(韓国語)で溢れ、アメリカ人さえ、その店が何を売っている商売なのか分からない。
 現在、日本は北朝鮮、韓国とも厳しく対立している。北朝鮮は解決不能と思える拉致問題や核・ミサイル開発で対話はゼロ。韓国とは竹島領有、従軍慰安婦や朝鮮人労働者徴用問題、半導体材料の輸出規制強化と先鋭化するばかり。なぜ、こうも日本と朝鮮・韓国は複雑でややこしいのか。

 戦後現代史で、朝鮮戦争の勃発(1950年6月25日)は日本にとって「幸」であった。戦後復興の大きなテコ、言い換えれば現在の日本の繁栄の経済的要因にこの戦争が貢献している。
 本書は戦争が勃発した直後、大阪で起きた吹田・枚方事件を切り口に在日朝鮮・韓国人たちの祖国をめぐる対立抗争と裏腹の暗くも哀しい、大阪の日朝・韓・若者を「悲劇」に閉じ込めた事件をしつっこく追っている。 
 その背後に東西冷戦対立があり、「冷戦」が「熱戦」となったのが朝鮮戦争。本書では国際紛争の深刻な対立下で起きた朝鮮半島の「内戦」を「国際内戦」という矛盾した言葉で表現している。  
 日本は陰に陽にこの内戦に巻き込まれた。ところが突如、北朝鮮・金日成の軍隊が南下、ソウルを占領され、慌てたマッカーサーは吉田茂に書簡を送った。警察予備隊が誕生、現在の自衛隊に繋がった。
 著者はその歴史を在阪の朝鮮・韓国人らにフォーカスした。
 日本人で知る者は少ないが、済州(チェジュ)島で四・三(よんさん)事件(1948年4月〜54年9月)が起こり、米軍や韓国政府の弾圧を逃れ、日本へ密航した済州島民が日本へ残留した。彼らは朝鮮半島が36度線で南北に分断されたことにより、日本にいながら「朝鮮」か「韓国」を選ぶことを強いられた。そこに対立が始まる。
 吹田・枚方事件は敗戦の荒廃が日本を覆っていた1950年代、日本共産党が軍事化した際起きた事件である。大阪大学の学生や在日朝鮮人が多く参加した。後に裁判で無罪となったが、失われた青春は還ってこない。
 十三で焼鳥屋を営む朝鮮人夫婦を縦糸に新聞記者らの関心を横糸に朝鮮裏面を描く話はサスペンス調とも読みとれ興味深い。
 著者の西村秀樹は大阪毎日(TBS系)の放送記者で、『北朝鮮抑留〜第18富士山丸事件の真相』(岩波文庫)を書いた。6回平壌を取材、在日朝鮮・韓国人へ目を向けながらジャーナリストの根性なのか、事件の当事者を探し出し、話を聴く姿勢が徹底して興味深い。
 お初天神の居酒屋でポンとくれた本書には現代日・朝・韓史がぎっしり詰まっている。
(北岡和義/ジャーナリスト、元日大特任教授)