NY日系社会に寄り添って

ニューヨーク日系人会事務局長

野田 美知代さん

 ニューヨークの日系3団体のひとつ、ニューヨーク日系人会、英語名ではジャパニーズ・アメリカン・アソシエーション・オブ・ニューヨーク、略してJAAと呼ばれている。今年で創立112周年を迎える歴史ある団体で現在メンバーは約1000人。日々の相談や、春と秋のヘルス・フェア(元シニア・ウイーク)、桜祭りなどニューヨークの日系コミュニティーの中核となって活動している。野田美知代さんは1987年からJAAで働きはじめ、2002年に事務局長に就任。日系人会の無料相談室、敬老会の段取りから桜祭り、日系学生向け奨学金授与式や募金活動の晩餐会などの準備、事務を2人の職員と共にJAAの大番頭として切り盛りしている。
 大分県出身。地元の高校を卒業後、大阪の看護学校を卒業して1971年から大阪赤十字病院に看護師として勤務し、フロアマネージャーの時にアーティストの野田正明さんと結婚し、78年に来米。子育て中にマンハッタン子供クラブ代表として日系人会に出入りしていた時、日系人会で働かないかと誘われパートで仕事を始めた。当時は44丁目、日本食レストランが1階にあるビルの6階で広さは現在の3分の1。部屋の本棚に無縁仏の骨壷が並んでいた。野田さんが事務局で働き始めて、日系人会は組織や社会との関わりが少しずつ確実に変わっていった。転機は91年から会長を務めた稲垣茂さんの時代に訪れた。まず移転。隣のビルに倍の広さの会館を設置した。次にフラッシング・メドウズ・コロナパークに桜の苗木168本を日系人会から寄贈した。それがきっかけとなって現在も毎春、桜祭りが盛大に開催され、地元米国社会との接点が人脈の面として広がった。
 江見啓司氏、佐藤登氏、稲垣茂氏、村瀬二郎氏、楠本定平氏、木曽敏夫氏、スーザン大沼氏、ゲーリー森脇氏と30年余り歴代の会長に仕えてきた。3年前に現在の45丁目に移転。家賃高騰のなかで常に財政基盤の確保と活発な社会活動の両輪を動かす立場に。アジア人コミュニティーの中で日本とジャパニーズアメリカンの存在観を高める上で大切なセンサスが2020年にやってくる。「いろいろな情報とサービスを日本語で提供し、ニューヨークに住む皆さんの健康で安心した生活を支援することができればと思っています。心配なことがありましたらお電話ください」話す。 (三浦良一記者、写真も)