「1000字で考える 日本文化論」 画家/千住 博

「水神宮」2015年 メトロポリタン美術館蔵

 ニューヨークに住んでかれこれ約25年になる。思い返せば、結局ニューヨークに来て得た一番大きな収穫は、意外にも日本美術、日本文化を学んだことかもしれない。ニューヨークに暮らす初めの頃、日本美術の特長は? 浮世絵の魅力は何か? などの問いに端的に即答できない私がいた。これはいくら何でもまずいな、と思い、日本の美術を学び直そうと決心した。
 改めて学んでみると、日本の文化は興味が尽きない世界であった。それは自分の絵画表現の裏側を確認することでもあった。ではそれはどういうものだったのだろう。日本にはシルクロードなどを通って西から東へとあらゆる文化が伝わってきた。その先は太平洋なので全部この島にたまる事になる。
 例えば正倉院宝物の壺にある狩をする人々の姿は、日本と同じに見えるが実は西アジアの遊牧民の姿だ。仏像も、あるものはギリシャ・ローマ人の顔付き(ヘレニズムという)、またあるものはインド人の顔(ガンダーラという)、そしてあるものは中国人風の顔をしている。年代的な色々な訳があるが、それはともかくとして、これらの国際色豊かな文化を、時にこれは自分たちと同じと感じ、時に世界は広いな、いろいろな人たちがいるなと感じながら受け入れた。そして長い年月をかけ多彩な価値観が共生する独特の文化圏がこの地の人々に育まれた。
要するにこれを「和」という。
「和を以て貴しと為す」とした聖徳太子はもちろんのこと、卑近な例を挙げればイタリアのカツの上にインドのカレーをかけたカツカレー、パスタの上に納豆をのせた和風スパゲッティー、そして宗教に於いては、最近のケルト文化の祝祭であるハロウィンの大騒ぎ、そして年末はクリスマス、年明けて正月、結婚式はウェディングドレスで葬式は仏教、盆休みがあり…といったようにさまざまな本来神聖な行事の共存など、国によっては一触即発のありえない話だが、異質な文化、異なる他者たちの平和な「秩序あるごったまぜ」がこの地理条件ゆえに成立したのだ。
 その舞台も死後とか神話世界とかではなく、浮世の現実世界だ。これは砂漠の文化やユートピア思想の人々と決定的に異なっている。語るべき豊かな四季の変化を日常の足もとに持つ風土が、その考え方を熟成させたのだろう。それは和歌などの詩歌、つまり「源氏物語」「古今和歌集」などに出色である。
 文化とは風土の醸造するユニークな知恵の産物だ。そのことに興味が湧けば今は自分でインターネットなどを通して更に学べる。
 日本でオリンピックのある2020年、正しく日本文化を語れる日本人でありたい。