歌があり明日がある街NYに生きる

歌手、俳優

熊本 翔士さん

 来米5年後の2015年にマクドナルド・ゴスペル・フェスティバルで応募総数2万人の中からソロファイナリスト4人に選出。さらに4年後の19年11月には、アポロ劇場アマチュアナイト1回戦で準優勝した。

 熊本さんは、1987年福岡市内で蕎麦屋の長男として生まれた。高校は男子校。乱れていたというより荒れていた。「スクール・ウォーズ」のモデルとなった京都市立伏見工業高校ラグビー部元監督の山口良治さんが学校に招かれ、発声した第一声が「君たち悪いねえ」だった。学校を辞めるかラグビー部に入るかの選択を迫られ、熊本さんも仲間と共に身長180センチのウイングとフルバックのポジションに。猛練習の成果あって高校ラグビーの名門がひしめく九州で県大会ベスト16まで食い込んだ。まさに「ガチガチに性根入れ直されてラグビーに救われた」青春だった。

 その後、福岡工業大学の社会環境学部に進学し、2003年に卒業。東京都内の警備会社大手に就職した。サラリーマンになったのは家の事情だった。本当は歌手になりたかったが親の商売が失敗して家に仕送りをしなくてはならなかった。大学の学費もアルバイトで払った。歌は子供の頃から上手かった。と言ってもカラオケで歌う程度だったが就活で吉本興業と渡辺プロダクションには役者枠で合格している。だが自分で仕事を取ってこない限りしばらくは無給だと分かって諦めて会社員になったのだ。大学時代、夏休みに祖父の妹にあたる叔母が国際結婚をして住んでいたテキサス州に毎年遊びに行っていたことがアメリカに目を向けた。自由なアメリカの空気が気にいっていた。大学を出て社会人になって1年半たった頃、高校時代の親友が歌手になると言って上京してきた。目が覚めた。ちょうど法律が変わり親の借金も帳消しになり、もう怖い取り立て屋も来なくなったのが契機となった。親に「これからは自分の好きなことして生きていくからね」と言って学生ビザで渡米した。23歳だった。

 英語はボーカルの先生につき5年間、単語の数より「発音」だと信じ徹底的に学んだ。発音記号を全部読めるようになり、歌に関しては、ネイティブと変わらない発音を体得した。現在は自身の楽曲制作をしながら日本の大手芸能事務所所属の役者、歌手にオンラインで英語の歌の発音レッスンを行っている。「後から勉強してできるようになった発音なので、日本人に口の開き方、舌の動かし方、顎の使い方を一つ一つ教えることができる。ただ、第二言語だなと思うのは、後から聞いた時にずれていることがあること。生まれながらの発音ではなく大人になってから覚えた発音なので、ギターやピアノ、野球のバッターのスイングのように調整、チューニングが常に必要になるのがなんとも悔しい」という。

 ニューヨークでは2014年から子供教育番組のメインキャストとしてブルックリン地区のテレビ番組に出演中だ。モデルとしてもファッションブランドJ Crewや、FadedNYCなどの撮影に参加。最近では、5月14日にNYで開催されたジャパンパレードで花魁道中の男衆としても参加。6月1日に放映された吉本興業ノンスタイル主演の番組「福岡のノンスタさん」で自身のオリジナル曲Lady Bが使用されて日本のテレビで自分の作った曲が流れた。親も聞いて喜んでくれた。「自分を育ててくれる街ニューヨークが好きです。いつかグラミー賞のような祭典に参加できるようなアーティストになりたいです」。目標がある人生を自分の足でしっかりと歩いている。そんな確かな実感がある。

(三浦良一記者、写真も)