ロシアの核威嚇で不可避となった核シェアリングの議論

 ウクライナに侵攻したものの、想定外の激しい抵抗に狼狽したのか、ロシアのプーチン大統領は「核部隊に警戒命令」を出すという行動に出た。この行動は、基本的には言葉を使った軍事テクニックであり、最善の対応はスルー(無視)することである。少なくとも、アメリカのバイデン大統領は3月1日に行った一般教書演説の中では一言も触れなかった。

 一方で、日本での反応は大きかった。核武装を検討すべきだとか、非核三原則を見直すべきだという議論が瞬時に沸き起こったのである。また、この機会に「核シェアリング」という構想について、議論を封印すべきではないという意見も多かった。確かに今回のプーチン発言と、これを受けて起こった日本国内の動揺というのは、核シェアリングについての議論を整理しておく良い機会かもしれない。

 まず明確にしておきたいのは核シェアリングというのは、国際法上の概念ではない。また国際社会一般において共通概念が確立している問題でもない。単なるNATO内の独自ルールであり、NATOが一方的に運用しているものだ。NATO内には米英仏3カ国という核保有国があるが、それ以外の国が核武装することはNPT(核拡散防止条約)で禁止されている。けれども、具体的にはNATOはアメリカの提供する核兵器を、ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコの5カ国に配備している。

 実はこうした配備は、NPT違反になる。けれどもNPT成立時には秘匿されていたために、議論は起こらず一種の既成事実となっている。またNATOは、有事においてはNPTの効力は消滅するとして行動するとしており、具体的にはシェアリング国は自国の軍隊が米国の核兵器の輸送などに協力するとしている。つまり平時にはアメリカの核兵器が「持ち込まれて」いるだけだが、戦時には共に核抑止力として運用する、これが核シェアリングである。

 仮に日本が類似の対策を考慮するのであれば、次の3つの論点を検討する必要がある。

 1つ目は有効性である。現在の日本は米国の「核の傘」に守られていることになっている。つまり日本に核攻撃をすると、その国は米国の核によって反撃される。従って日本への攻撃が抑止されるという論理である。しかしながら、この措置には米国が「自国民が大量殺傷されるリスク」を引き受けてまで「日本のために核兵器で反撃できるのか?」という疑念がつきまとう。これは日本にとっては不安である。では、例えば米国と核シェアリングを行うことで、このリスクが低減できるのかは理論的にも確かでない。相手のあることであり慎重な研究が必要だ。勿論、実際に核戦争を行うための研究ではなく、あくまで抑止力を高めるためであるが、答えは簡単には出ないであろう。

 2つ目は日本側の義務である。前に述べたように核シェアリングはNATOが運用しているものだが、これはNATOの「鉄の掟」つまり条約第5条にある「加盟国1国が攻撃されたら加盟国全体への攻撃とみなす」という縛りが前提になっている。アメリカの「反テロの戦い」にNATOが参加したのはこのためであるし、ウクライナにNATO諸国が援軍を派遣できないもこのためである。仮に日本が米国と核シェアリングを行うということは、米国の関与するあらゆる戦闘に日本が参加する義務を背負うことになるということを覚悟すべきであろう。また、「核の傘」と比較すると経済的なコスト負担も大きくなるであろうし、何よりも日本側における法令の改正等膨大な作業が必要になる。

 3つ目は、国際関係の問題だ。まず、NATOの核シェアリングはNPT条約に違反するが、秘密裏の既成事実として黙認されている。ではこれを前例として日本の核シェアリングをNPTに認めてもらうというのは、これは大変に難しい交渉になる。無理に進めれば多くの国が条約から脱退してNPT体制が崩れてしまうだけでなく、実務組織としてのIATA(国際原子力機関)の機能も停止してしまうかもしれない。

 いずれにしても、突如始まった「核シェアリング」の議論は、核兵器と平和を考える良いテーマであると思う。実務と理念の両面からの論戦が深まることを期待したい。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)