コロナと文明の衝突

横尾忠則

NEW YORK SEIKATSU PRESS
YOKOO TADANORI GOOD DAYS No.81

 アメリカも日本も同じように2020年は、コロナ禍に振り回されました。個人的なことですが、2月以来、アトリエに閉じこもった生活で、お蔭(?)で絵の制作時間がたっぷり取れました。コロナのために依頼仕事はうんと減ったことが、絵に集中することができたのです。僕は元々、外出することはなかったので、緊急事態宣言が発生されても、生活には何の変化も起こりませんでした。

 アートにとっては、このような危機的状況はかえって面白い仕事をさせてくれます。コロナと関係なく、僕は常に、自分の中に、危機感を抱くようにしていましたが、僕に関していえば、コロナによって自然体でいることができました。そして創作の現場では、コロナのネガティブ・パワーを創造のポジティブ・パワーに切り替えることができました。コロナとの共生共存が、逆に作品を豊かにしてくれたと思います。

 とはいうものの見えないコロナの終末は個人的にも社会的にも、深刻な不安に襲われます。日本も、また東京も、毎日感染者が拡大する一方です。命が大事か、経済を優先するのかの議論が政治の大きなテーマになって国民を不安に陥れています。日本もやっと3月頃からワクチンが採用されるようですが、そのワクチンの効用はまだ不明です。世界がコロナによって、あらゆる問題が共有されていますが、一方で対立も激化する可能性もありそうです。

 世界の大方の人々は「今なぜ、われわれが、この問題に直面しなくてはならないのか?」という疑問を抱いています。日本には自業自得、因果応報という仏教の考えがあります。何事も物事は偶然に起こることはない、必ずそこには起こるべき原因があるというのです。この仏教の理法をコロナに当てはめて考えて見ると、何が問題なのかが見えてくるように思いませんか。火のないところに煙は立たぬというように、必ず問題の原因はあるのです。しかし、現在は、その原因の問題など考える余裕はありません。出てきた結果に振り回されているだけです。ワクチンができたのは、一末の光かも知れませんが、人類全員がワクチンを打つということになるんでしょうか。今のところが、このことが、唯一の解決法なのでしょうか。

 コロナは果たして自然現象でしょうか。文明が発達した結果が、コロナだったとは、まだ誰も言っていません。そのコロナを退治するのが文明だという発想だと思います。今後も文明による想像もつかない危機的状況に直面するかもしれません。でも、それを回避させるのは文明だという発想がどこかにあるように思います。地球がまるごと汚染されても文明が解決するという発想なのでしょうか。原因の追求よりも、結果の解決を優先しようとする今日の人類の智恵が正しいのかどうなのか僕にはわかりません、人類の終末時計の刻む音が聞こえなくなっていることに誰も恐怖を抱いていないんでしょうかね。(よこお・ただのり/美術家/東京都在住/12月21日本紙向け書き下ろし)


横尾さんは最近 WITH CORONAというシリーズで、マスクをつけた作品を発表している。横尾さんのツイッターで発信しており、すでに500点ぐらいアップされている。本紙デジタル版で横尾さんの下記のツイッターアドレスをクリックすると見ることができる。