日本のカイシャ改革は4月の行事見直しから

 日本の文化には四季の移り変わりを楽しむ習慣が濃厚にある。まずは花鳥風月を愛でることに始まり、祭礼などの行事、四季折々の食文化があり、季語を詠み込む俳句という文学まである。こうした季節感は大いに結構と思うが、教育やビジネスにおける、いかにも保守的な「季節感」については、そろそろ再考しても良いのではないか。

 まず教育については、桜の季節にランドセルを背負わせた「絵」で子どもの成長を感じたり、最近は温暖化で開花が早まっているので、桜の咲く中で卒業式をしたりするのは日本独自の文化だ。こちらも、共同体への帰属と同調を刷り込むだけで、個の覚醒や成長には効果が薄いと思う。何よりも卒業において、個人の達成を評価する要素が少なすぎる。

 それはともかく、この春、4月の「風物詩」ということでは、企業カルチャーにおける問題は相当に根深いと言える。日本の「カイシャ」という文化は、とにかくここまで生産性の低さが問題になっている中では、一旦解体して再構成(リストラクチャー)すべきと思うが、まず手始めにこの4月に起きていることについて、確認をしてみたい。

 まず、今でも多くの企業では入社式を行っている。今年は、久々に「対面」で実施できるなどと話題になっているわけで、まだまだこの儀式は健在だ。問題はその「式」の中身である。社長が壇上から訓示をするのだが、成人式で行われる首長のスピーチと大差ない儀礼的なものが多い。訓示の内容は2つであり、江戸時代のように保守的な社会人の心得を説いているくせに、自分の中長期ビジョンなどを披瀝して「君たちも未来を目指せ」などと語る中で見事に自己矛盾を演じつつ、喋っている社長自身はその矛盾に気づかないのが「お決まり」となっている。

 驚くべきことに、近年の入社式には「保護者」を招待する企業が多いという。保護者に「ブラック企業」だと思われて、入社早々に退職を勧められては大変なので、好感を持ってもらうのが目的で、企業としては必死の工夫だというのだが、奇妙な話だ。

 新入社員はまだいいが、中堅社員になると4月は人事異動、具体的には転勤や昇格人事の季節である。まず転勤については、夫婦共働きが常識となっている現在の日本では、異動には単身赴任という国際的には他に例を見ない習慣が重なっている。政治家も「家庭を大事にするのが日本の美風」だなどと説くのであれば、まずこの悪習、つまり本人の望まない勤務地へ異動は禁止するような提案をすべきだろう。

 昇格人事に一喜一憂するのもおかしな話だ。管理職は管理のプロが任命されるべきで、過去の業績への報奨として管理ポストを与えるというのはナンセンスだ。つまり、本人も組織も不幸にし、最終的には企業を衰退させるということに、いい加減気づくべきだろう。

 入社式や人事異動と並行して、この4月というのは多くの企業では決算シーズンに当たる。この決算というのも、日本企業の場合は大いに問題ありだ。まず、4月に決算の作業を行う企業は3月末が決算期であり年度の会計を〆る。その結果を公表するのはいつかというと、実は1か月半後の5月中旬という場合が多い。これは非公式な短信であり、正式な数字を報告する株主総会は6月末というスローぶりである。

 どうして遅れるのかというと、在庫管理や売上計上、売掛金の管理などについて多くの企業では、日次、月次の管理が緩いために、決算期に正確な数字がすぐに出せないからだ。これに加えて、どうしても節税したいとか、反対に利益を見せて株主を安心させたいなどの動機から、決算期に「悪あがき」をすることもある。そもそも現場が貸借対照表を理解しないので、決算の作業そのものが難航する場合も多い。

 そんな中で、世界では当たり前になっている四半期決算を止めようとか、四半期ごとの発表は非公式の短信でいいなどという甘えた話が日本では横行している。その方が「サステナブル(持続可能)」だなどという議論まであるので笑止千万だ。国際会計基準を理解し、世界中どこでも使っている会計ソフトを忠実に運用し、経営幹部以下が決算期の例外的な会計操作を止めれば済む話である。毎月の月次決算を3つ足せば四半期決算になり、1年分を足せば年度の決算になるのが当然であり、コソコソと「鉛筆なめなめ」2か月もかけて決算をやるから、生産性が上がらないのだ。

 多くの企業が新年度を迎える4月、恒例になっている行事の多くを徹底的に見直すスタートの季節にしてみてはいかがだろうか。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)