帰還の箱舟

国連アート探訪 ⑩

よりよい世界への「祈り」のシンボルたち

星野千華子

 新型コロナで世界最大の被災地となったニューヨーク市でもようやく経済再開の兆しが見えてきた中、新たに社会正義を求める大規模な平和的デモを通じ、人々の心の奥底に潜む人種差別や偏見、社会の分断といった「傷」に向き合うことになりました。

 国連本部のビジターズエントランスを抜けた広場には「帰還の箱舟(Ark of Return)」と題されたモニュメントが、あたかもイーストリバーからの出航を待つ船のように置かれています。これは、ニューヨーク在住のハイチ系アメリカ人建築家ロドニー・レオンの作品で、大西洋を跨いだかつての奴隷貿易の犠牲者(その数は1500万人に上るといわれています)を悼み、人間の尊厳を奪う人種差別や偏見の問題への意識を啓発するものです。

 レオンは、多くの奴隷が送り出されたセネガルのゴレ島にあった「帰らざる扉」からインスピレーションを受け、船形に組まれた白い大理石の中にジンバブエ産の黒花崗岩を肌に見立てた彫像が一体横たわるというこの象徴的な作品を制作しました。

 人種差別というと自分には無縁で遠い世界の難しい問題ととらえられがちですが、奴隷貿易や奴隷制度は廃止されても、人種による差別や偏見で「息ができない」状態に置かれている人々はいまここに存在しています。

 新型コロナでアジア系の人々への差別も発生していますが、この問題が最近、私の身にも降りかかってきました。

 その朝、私がマスクをし、犬と散歩をしていると、ジョギングをする一人の白人男性から何の前触れもなく「ゲット・アウト・オブ・マイ・カントリー!」と怒鳴られ、さらにいままで決して言われたこともなかったような侮蔑的、屈辱的な言葉を執拗に浴びせかけられたのです。

 このような時、声は出ません。身体はまさに凍りついたかのように動きません。そしてまわりには立ち止まる人はいても、ほとんどの人は何事もないかのように通り過ぎ、誰一人助けようとしてくれませんでした。自分の人種的な背景が明らかに相手の憎しみや侮蔑の対象とされた恐怖を実感した瞬間でした。

 でも、人はなぜ見ず知らずの他者に対してまでこのような激しい感情を抱くのでしょうか。

 私は、他者との比較のなかで自分の優位性を見出そうとしたり、虚栄心を満足させたいと考えたりする感情は、ほぼすべての人間に共通するものだと思っています。

 人は誰しも「もっと大変な思いをしている人がいるのだから、自分の方がまだマシ」と言って自分を鼓舞したり、そこに慰めを求めたりした経験はあるかと思います。では、「私はあなたより恵まれていてよかった」と言われ、あなたは心から喜べるでしょうか。差別を生むきっかけは、とても身近な日常の中に存在しています。私自身にも。ただ、自分の気持ちが波立った時には自分が「感情の奴隷」になってはいないかを努めて問うように心がけることで、この差別の感情に支配されないよう自分と戦っているのかもしれません。

 今回の抗議デモが、「また耐え難い仕打ちを受けるかもしれない」という差別される側のトラウマと「いつか仕返しされるかもしれない」という差別する側の恐怖といった互いの内面の呪縛を解き放ち、すべての人々が平等に人として受け入れられる社会の実現に向けたムーブメントとなることを願っています。そうでなければ「帰還の箱舟」に横たわる犠牲者たちの魂が安らかに心の拠り所となる場所へと帰っていけないのではないでしょうか。

 星野富弘の詞花集の一節に「わたしには傷がある/そこからあなたのやさしさがしみてくる」という言葉があります。

 いろいろな「傷」を負うことになったニューヨークの街、人たち。それぞれの「傷」から生まれてくる優しさや夢や希望といったものこそ「真実」と呼びたいと思っています。

 今回の私の体験を打ち明けたことで、多くの方の過去の様々な辛い体験や現在進行形の傷について目にしたり耳にしたりしています。そんなとき、以前、辛い日々を送っていた時に私を支えてくれた一つの歌が思い出されました。さだまさしの『The Day After Tomorrow』です。

「今日は昨日の続きだったけど/明日流れが変わるかもしれないじゃない/大丈夫/明後日(あさって)まで/もう少しだけ/生きてみようよ」

 先の見えない不安や、目の前にある手には負えない山積みの問題、誰からも見捨てられたような孤独。押し潰されそうなことだらけの毎日ですが、とりあえず明後日まで、そしてその次の明後日まで、一緒に生きてみませんか。

(筆者は日本政府国連代表部幹部の配偶者でニューヨーク在住)