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意見広告 海外から歴史問題を考えるシリーズ

意見広告海外から歴史問題を考えるシリーズ 18

ドイツの夏 ホロコーストと慰安婦

この8月にミュンヘンに行きました。ドイツに行くのは初めてです。今年の夏は特別暑かったそうで、ドイツにしては珍しく日中は30度、夜は外でも夏のワンピースで快適に過ごせました。ミュンヘン市内はたくさんの観光客で賑わい、ビアガーデンはビールを楽しむ人で溢れていました。私も地元のビールやバイエルン地方の白ソーセージ、豚料理をとても美味しくいただきました。
また、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとして有名なノイシュバンシュタイン城、バイエルン王の夏の住まいでバロック建築が有名なニンフェンブルク城などの美しいお城も観光しました。
歴史的に重要なところにも行きました。ミュンヘンの北西15キロにあるダッハウ強制収容所の跡地です。ここは、アドルフ・ヒトラーが総統に選ばれてから数週間後の1933年3月22日に政治犯の強制収容所として開所しました。初めにできた収容所の一つで、その後に造られた収容所のモデルになったところです。1945年4月29日に米軍に解放されるまでの12年間で、ヨーロッパ各地から20万人以上がこの収容所に収監され、4万1500人が犠牲となりました。
今でも火葬場となった建物があります。そこにはいくつかの部屋が横に並んでいます。最初の待機部屋で収監者はこれからシャワーを浴びると告げられます。二番目の部屋はガス室で入り口に「BRAUSEBAD」シャワー室と書いてあります。天井にはシャワー器具がついているのでシャワーを浴びるのだと信じて部屋に入ります。でもシャワーは偽物で、実はガス室なのです。この部屋では15~20分で150人が殺されました。学校の教室よりも狭い部屋です。三番目の部屋は遺体置き場、そして最後が4つの炉が並んでいる遺体焼却室です。他に大きな展示館もあり、ナチス収容所と犠牲者のたくさんの歴史的な記録が展示されていました。
さて実はこの夏ドイツでは、ハンブルグの教会施設とボンの女性博物館の二か所で慰安婦展が開催されました。韓国、米国、日本の慰安婦を支援する活動団体の協力です。
ハンブルクでは慰安婦像が展示されました。そしてこう説明しました。「像は、アジア太平洋地域の日本軍によって第二次世界大戦中に強制的に性奴隷にされた数十万人の慰安婦と名付けられた少女と若い女性の苦しみを表現しています。」
ボンの展示では絵や写真を展示し、このように説明しました。「女性や少女たちは組織的に誘拐され、兵士による虐待を受けました。日本軍による約20万人の犠牲者は韓国の女性達で、中国、台湾、フィリピンからの女性達、それどころかオランダの女性もいました。無数の女性が殺されました。生存者は非難され、犯罪者の様に40年沈黙していました。」
「慰安婦は性奴隷」と主張して、慰安婦像を設置しようとする活動団体は「日本軍慰安婦制度はアジアのホロコースト」というキャンペーンをしています。だからドイツでこのような展示会を開催するのでしょう。
彼らは、慰安婦は20万人または数十万人で、その多くが殺されたと主張します。日本軍の慰安所があったのは、最初に上海にできた1937年から終戦の1945年までの8年間です。ダッハウの収容所では12年間で20万人が収容され、4万1500人が殺されましたが、一次資料となるたくさんの証拠、文書、記録が残っています。一方、慰安婦が沈黙を破るまでの40年もの間、なぜ誰も数十万人の慰安婦への犯罪に気づかなかったのでしょうか。おかしくないでしょうか。
元イスラエル駐日大使のエリ・コーヘン氏はあるジャーナリストへの手紙にこのように書いています。「事実関係の議論はさておき、慰安婦をホロコーストに例えるのは無責任であり、同等に語るのは早急に止めるべきです。そんなことは絶対にありえないのです」
私もダッハウ収容所を見学して、コーヘン氏のこの言葉がとてもよく理解できました。ダッハウは初めてのドイツの旅の印象深い思い出となりました。

なでしこアクション
代表 山本優美子

Is Japan a Country of Racial Discrimination? No, she is a Pioneer of Elimination

  I have visited Geneva, Switzerland, on the 16th and 17th of August, to attend meetings at the Committee on Elimination of Racial Discrimination as an NGO member. The Committee holds sessions periodically to examine the racial discrimination situation of each country that ratifies the Convention on the Elimination of All Forms of Racial Discrimination. During the session, the committee, the government delegations and NGOs participate in the meetings and exchange information and opinions. After the session, the Committee presents a report called “the Concluding Observations” and states recommendations to the government on various human rights issues.
The reason why I attended the session this time is because after the last session on Japan, in August 2018, the committee made recommendations as follows:
The Committee urges that the State party take immediate action to:
(a) Conclude investigations on violations of the rights of comfort women by the Japanese military, and bring to justice those responsible for human rights violations;
(b) Pursue a comprehensive, impartial and lasting resolution of the issue of comfort women, including expressions of sincere apology and the provision of adequate reparation to all surviving comfort women or to their families;
(c) Condemn any attempts at defamation or denial of such events
Why did the committee make such recommendations?  The committee respects the opinions from NGOs and has received reports on the comfort women issue from NGOs who claim  “Japanese military’s comfort women as sex slaves.” And the UN Special Rapporteurs, Coomaraswamy and McDougall, had reported one-sided claims on comfort women without any corroborative evidence.
So, I went to Geneva to speak at the meeting with the committee members and delivered the booklet “What is ‘Comfort Women’ BASIC FACTS.” Here is my oral statement at the meeting:
The myth of comfort women as “sex slaves” despite being completely debunked, continues to be weaponized against Japan and its people.
The myth deliberately tarnishes Japan’s image and justifies crimes committed against Japan.  This fake human rights issue causes people of Japanese descent, especially those living in the US, Canada, Australia, and Europe, to face discrimination and feel ashamed.
I produced this booklet “What is ‘Comfort Women’ BASIC FACTS” with the Japanese mothers whose children are bullied – as the vicious propaganda campaign has infiltrated schools – to protect them from further harm and humiliation.
Vice-chair Ms. McDougall, in your 1998 report “Contemporary Forms of Slavery” you repeatedly accuse Japan of being legally liable for its government and the military running “rape centres.” However, the grounds for such condemnation fail to meet the minimum legal standard.  Justice requires facts to be examined without bias. I hereby request that you and the committee look at the facts presented in our booklet.
We also request the government of Japan to take responsibility of protecting Japanese children and women from this vicious propaganda campaign masquerading as a women’s rights issue.
There was another issue that our NGO presented to the committee. That is “Japan was the very first country who proposed the elimination of racial discrimination in the international community.”
On February 13, 1919, at the Paris Peace Conference in Versailles, a responsible committee was held to draft the Covenant of the League of Nations. And the Japanese government made a proposal that racial equality and the elimination of racial discrimination should be clearly stated in the Covenant. Japan was the very first proposer in the world when there were few independent nations of colored people. The proposal was supported by an overwhelmingly majority, 11 to 5, of the committee members. However, US President Woodrow Wilson, chairman of the committee, blithely argued that such an issue of importance should be decided unanimously and turned down the proposal.
50 years after Japan’s proposal for racial equality, the International Convention on the Elimination of All Forms of Racial Discrimination finally came into being in 1969. And now, countries of various races watch and examine each other’s human rights situations at the United Nations. This had never happened 100 years ago.
Well, do you think Japan a racially discriminatory country? How is the situation in comparison with other countries? I would like to know how the readers living outside of Japan think about it.
I do not think Japan is racially discriminatory. Japan was a pioneer and has been a leader of racial equality for last 100 years. I believe that Japan will continue to contribute to the movement.
Yumiko Yamamoto, president of the grassroots civil group “Nadesiko Action,”also known as “Japanese Women for Justice and Peace.”

意見広告  ●海外から歴史問題を考えるシリーズ 17

日本は人種差別の国? いいえ、人種差別撤廃のパイオニアです

8月16、17日とスイスのジュネーブに行ってきました。国連で行われる人種差別撤廃委員会の会議にNGOとして参加するためです。この委員会は人種差別撤廃条約を批准している国の人権状況を定期的に審査します。審査会では委員、政府代表団、NGOが参加し意見を出します。会が終わると委員会は最終見解書という報告書を発表し、日本政府に様々な勧告を出します。
私がこの度の委員会に参加したのは、前回2014年8月に行われた委員会で、慰安婦問題について委員会が次のような勧告を出したからです。
委員会は、締約国に直ちに以下の行動を取ることを要請する:
(a)日本軍による慰安婦の権利侵害に関する調査を終わらせること。そして,人権侵害の責任者を裁判にかけること。
(b)慰安婦問題に関する包括的,公正及び永続的な解決を追求すること。これには,全ての生存している慰安婦あるいはその家族への誠実な謝罪表明及び適切な補償の提供を含む。
(c)いかなる名誉毀損の試みあるいはそのような事象の否定を非難すること。
何故このような勧告が出されたのでしょうか。委員会はNGOからの意見を尊重します。委員会が慰安婦について知っている情報は「日本軍慰安婦は性奴隷」と主張する一部のNGOの意見と、一方的で裏付けの取られていない主張が記載されている国連特別報告者の報告書だからです。
そこで、ジュネーブに行って委員会に参加し、委員とNGOとの会合で私はこう発言しました。
慰安婦は「性奴隷」という神話は、その虚偽が完全に暴かれているにも関わらず、日本と日本人を攻撃する武器として使われ続けています。
この作り話は故意に日本の印象を悪くし、日本に対する犯罪を正当化するものです。この捏造の人権問題によって日系人、特に米国、カナダ、豪州、欧州に住む人たちが差別に直面し、肩身の狭い思いをしています。
この悪意に満ちた政治宣伝が学校にも浸透し、子供たちがいじめに合っています。これ以上傷つき惨めな思いをしないように子供たちを守りたい。そういう思いで、私は日本人の母親たちとこの冊子「慰安婦ってなに? 基本的な事実」を作成しました。
マックドゥーガル副議長、貴方は1998年の報告書「現代的形態の奴隷制」で、日本政府と日本軍の「強姦所」の運営には法的責任があるとして日本を繰り返し非難しました。しかし、そのような非難の根拠は、最低限の法的基準も満たしていません。正義は、事実を偏見なく審理することが必要です。副議長と委員の皆様にはこの冊子に書いてある事実を見ていただけますようお願い申し上げます。
また日本政府は、女性の人権問題を装ったこのような悪意あるプロパガンダ宣伝から日本人の子供と女性を守るべきであり、私たちは日本政府にその責任を求めます。
もう一つ、私と仲間が訴えたことがありました。日本が世界で初めて国際社会で人種差別撤廃を訴えた国であったことです。
1919年2月13日、ヴェルサイユで開催されたパリ講和会議の国際連盟規約を創案する委員会が開かれました。そこで、日本政府は「人種平等と人種差別撤廃を規約に明確に盛り込むべき」と主張しました。ほとんどの有色人種の国が独立していなかった時代、世界で初めてです。この日本の提案は投票にかけられ、「11対5」という圧倒的多数の支持を得ました。ところが議長を務めていた米国のウッドロー・ウィルソン大統領は全会一致でなくてはならないと主張し、結局日本の提案は却下されてしまいました。
それから50年後の1969年に国連で国際人種差別撤廃条約が発効しました。そして今は様々な人種の国々が国連でお互いの人権状況を審査しています。これは100年前には考えられなかったことです。
さて、日本は人種差別がひどい国なのでしょうか。他の国と比べてどうでしょうか。日本の外に住んでいる読者の皆さんはどうお考えになるでしょうか
私は決してそうとは思いません。私は日本は人種差別撤廃のパイオニアとしてこれまで100年と同様に、これからも国際社会で貢献していくものと信じます。

なでしこアクション
代表 山本優美子

慰安婦問題を取り上げ続けるアメリカの韓国人団体 彼らに史実を 曲げさせてはならない

5月13日から20日間、日本を訪問した際に読んだ5月25日の産経新聞に掲載された「ベトナム戦争中、韓国軍による住民虐殺が50年後も隠蔽されている」という一面にわたる記事を読んで唖然とした。アメリカ中で「ホロコーストに匹敵する日本軍の韓国女性に対する暴虐事件」と、慰安婦像を公共の場に建てろと言い回っている韓国系団体が、自国の軍隊が行ったことについては、完全に頬かむりを続けているのである。そして、慰安婦像の碑文に書かれていることが、作為に満ちていて本当に卑劣だと思う。
「日本帝国陸軍に奴隷にされた慰安婦は推定数10万人の、20世紀最大の人身売買の一つです。慰安婦はアジア太平洋の少なくとも13か国の出身で、主に韓国人です。ほとんど第2次大戦中に殺されました。拉致されたのは平均16才の少女たちです」
嘘もここまで平然と書ければ、「真実」と思われてしまう。
「韓国挺身隊問題対策協議会」は、戦後45年も経った1990年代の初めに、「慰安婦問題」解決のために立ち上げられた韓国の民間団体である。ソウルの日本大使館前で毎週行っている「水曜デモ」が1000回を超えた記念に、「慰安婦像」を日本大使館の前に設置した。そして、彼らは日本政府の謝罪や反省や補償が十分でないとの考えから、元慰安婦に対しての日本政府からの償い金や、村山総理からの「お詫びの手紙」の受け取りを拒否させたりした。7月13日の韓国紙「ハンギョレ」新聞によれば、挺対協は被害者の意思を無視したまま日本に対する露骨な嫌がらせをしているのが、問題の解決の妨げになっているとのことである。
日本が「アジア女性基金」を設立して慰安婦問題の解決にむけて努力した1995年、韓国政府は「これまでの被害者の要求がある程度反映された誠意ある措置である」と述べていた。しかし、挺対協の横やりを受けて徐々に態度を曖昧にしていき、韓国政府も最後には「被害者に対して納得する措置を日本政府はとってほしい」と評価を一変させてしまった。韓国政財界に多くの人脈を持ち、国民の支持を得ている挺対協の主張に、政府もマスコミも従うほかなく、妨害工作が幅を利かせている。挺対協は歴史的事実をまったく無視して、一方的に日本を卑しめ、金を取り続けようとする団体と言われても仕方がないような態度をとり続けている。
尹美香(ユン・ミヒン)挺対協代表は1964年10月23日、慶州南道南海郡に生まれた。韓神大学卒業後、梨花女子大学大学院キリスト教学科修了、同大学の社会福祉大学院で修士号を取得。1992年に韓国挺身隊問題対策協議会の発足当時に幹事として参加。ソウルの日本大使館前で毎週行われる水曜デモに参加している。2012年に渡米して、国連人権理事会に日本軍慰安婦問題を取り上げることを要求する要請書を手渡している。1993年に夫と義妹が北朝鮮のスパイとして摘発されている。韓国治安当局は、尹代表の近親者が北朝鮮のスパイであることと、挺対協との活動との関連に注目し、動静を注視しているとのことである。この尹代表の経歴や挺対協の活動が正しい歴史的事実に基づいて行われているとは思えない。尹氏のような反日政治家、反日マスコミによって、「慰安婦問題」は捏造され語り続けられ、日本政府は金をとり続けられるであろう。
韓国政府や反日勢力の有識者たちが歴史的事実に目をつぶっている限り、この問題は日本叩きの道具としてとりつづけられるであろう。「慰安婦問題」は一部の反日政治家、反日マスコミ、挺対協等によって、ますます煽られて、正しい日韓関係の構築に大きな妨害となっていることを非常に残念に思っている。
追記:私の9人の孫のうちの2人は、韓国と日本の孤児院から長女夫婦がもらった韓国人である。二人ともアメリカの大学を卒業し、それぞれ良き伴侶を見つけて結婚 し、2児と3児に恵まれて幸せに暮らしている。私たち夫婦も、この子供たちを分け隔てなく可愛がった。夏休みに泊りがけで訪ねてくるのが楽しみだっ た。毎年一家の写真を貼ったクリスマス・カードを送ってくる。彼らのためにも、日韓にこのように歴史を曲げて波風をたてるようなことが起こるのを、本当に口惜しくも残念に思っている。

ワイルス 蓉子
「ポトマック通信」
編集・発行者

●Focusing historical issue from the overseas point of view chapter 15

Audaciously spreading the fabricated story of “Comfort Women”

On August 15 of this year, it will be 73 years since the Pacific War was ended by the unconditional surrender declared by the Japanese government.  When the Japan-China War (so-called Japan-China Icident) had started on July 7, 1937, I was a second-grader in elementary school.  When I was a sixth-grader, the Pacific War had started by attacking the U.S. Pacific Fleet which had anchored at Pearl Harbor, Hawaii by the Japanese Pacific Fleet.  Then, the Japanese Army started to march into such Asian countries as the Philippines, Singapore, Burma, Malaysia, Indonesia and Vietnam. (At that time, those countries were the colonies of the British, France and the U.S.A. ). Soon after, the United States and its allied forces turned together the aim of their attacking to Japan.

I fully experienced all kinds of disaster which were caused by the war.  The air raids by the American bombers every night which caused almost all the Japanese cities to become burnt ruins; the draft of the high-school students to work in the factory or farms since all young men over 17 years were drafted by the military; and unbearable poor living condition by the strict ration of food-stuff, clothing, and daily necessities.  Therefore, I fully understand the disasters and hardship which are caused by the war.  However, when I heard and read about many brutal acts of the Japanese military during the war, some of which are fabricated or exaggerated to justify their allegations, I fully realize that the “silence is not necessarily gold but “oratory” or “make-up-story” are gold to convince the people.  I am not trying to justify the brutal acts of the Japanese military in the many areas of  Asia.  However, I regret very much to observe that some witnesses of the war are still living with the vivid memory of their war experience, and feel deeply regret to observe that some people distort their true experience and observation to their own benefit and gains.

The good examples are the stories of “Comfort Women” and “Nanking Massacre”.  For the honor of my country, I would like to describe in this article the fact of “Comfort Women”.  On June 22, 1965, then Prime Minister Eisaku Sato and then President of Korea Park Chung-hee agreed and “The Peace Treaty between Japan and Korea” was duly signed. During the numerous talks to conclude the Treaty, the Korean Government allegedly insisted that the indemnity payment to the comfort women should not be paid individually, but should be paid to the Korean Government in order to decided the amount of indemnity on the base-by-case basis. Accordingly, the Japanese government to pay gratuitously three hundred million dollars, two hundred million dollars onerously, and three hundred million dollars as civil financing.  In addition, the assets of the Japanese government which were held in the Korean Peninsula and was estimated fifty-three hundred million dollars, were surrendered without any condition.  The Japanese government believed that the indemnity was paid to each Korean comfort women who allegedly insisted that they were forced by the Japanese Government.

It is most incomprehensible allegation that was made by Korean women who appeared publicly at the international arena 60 years after the end of the Pacific War.  They audaciously appeal at such an international arena as the U.N. Humane Rights Committee meetings that they were abducted and forced by the Japanese military to sexually work for Japanese soldiers.  Their appearance at the U.N. Humane Rights Committee was irresponsible act which was arranged by the Korean Government.  However, it seems to be more irresponsible and unjust act is that the U.N. Humane Right Committee, the members of the Committee believe the one-sided story and didn’t elaborate for fact-finding at all.

There are still some living witnesses of the history such as myself.  The Japanese Government paid two hundred million dollars twice to the Korean Government for the remuneration for the alleged comfort women and then Prime Minister Tomiichi Murayama and the Cabinet Secretary Taro Kohno sent a letter of apology to the former comfort women through the Korean Government.  Yet, the former Korean comfort women insisted that they received neither remuneration nor a letter of apology.

If you don’t know the historical facts of both Japan and Korea where the social status of women was much lower than that of men, and the licensed prostitution was officially approved.  As a human being, you should know better about this historical fact, otherwise you cannot talk about the comfort women.

Yoko Wiles
Publisher, Potomac Newsletter

海外から歴史問題を考えるシリーズ  15

一方的な話だけが国際舞台でまかり通る不条理
慰安婦の強制連行

今年8月15日で、太平洋戦争が日本の降伏によって終結してから73年になる。
当時16歳だった女学生の私が88歳の米寿を迎えた。昭和12年7月7日に中国の北京郊外の盧溝橋で日中戦争(当時は支那事変とよばれた)が始まったとき、私は小学校2年生であった。それから小学校6年生の時に太平洋戦争がはじまり、日本の敗戦によって終結するまで、9歳から17歳の8年間、東京大空襲、学徒勤労動員、食料や衣類の配給制、食料買い出し等々、戦争体験をたっぷりと味あわされた。
そして現在、国連のような国際的な舞台で、日本軍の暴虐事件だけが一方的に取り上げられ、慰安婦問題がねつ造して語られているのを見聞すると、如何に歴史が自分たちに都合の良いように作り変えられているかを痛感している。
国連のような国際舞台では、沈黙は金ではなくて、雄弁が金であることはあきらかである。私は決して日本の軍部がアジア各地で戦争を起こしたことを正当化するものではない。しかし、まだ歴史の生き証人が残っているというのに、自分たちに都合のよいように事実を曲げて語り、日本をいたずらに誹謗している人々がいるのを、本当に残念に思っている。
そのよい例は、「南京虐殺事件」と「朝鮮慰安婦問題」であると思う。ここでは慰安婦問題だけを取り上げることにする。
1965年6月22日に東京において、佐藤栄作総理と朴正熙大統領によって署名された「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」で、日本の莫大な経済協力と韓国の日本に対する一切の請求権の完全且最終的解決、それに基づく関係正常化などが取り決められた。
韓国が交渉中に主張した対日債権に対して、日本政府は「韓国側からの徴用者名簿等の資料提出を条件に個別償還を行う」ことを提言したが、韓国政府は「個人への補償は韓国政府が行うので、韓国政府に一括して払ってほしい」と、現金合計21憶ドルを要求した。 そして、交渉を重ねた結果、日本は「独立祝賀金」と「発展途上国支援」として、無償3憶ドル、有償2億ドル、民間借款3憶ドルの供与と融資を行った。統合時代に朝鮮半島に日本政府がもっていた53億ドルの資産は、当時朝鮮半島を占領していたアメリカとソ連によって、すでに差し押さえられていた。日本政府は、朝鮮半島にもっていた全ての資産を放棄した。そして、日本政府は、現在韓国が主張している慰安婦に対する補償金も、当然韓国政府が日本からの支援金の中から支払ったと解釈していたのである。
私が最も不思議に思うのは、戦後60年も経ってから、なぜ元慰安婦と称するお婆さんたちが、「強制連行され、日本軍の性奴隷とされたのに、何の補償ももらっていない」と言い出したのかということである。しかも、国連の「人権問題委員会」で時系列に合わない証言を行っているのである。 そういうことを言わせる韓国政府に道義的責任があると思うが、彼女たちの証言を実証もなしに受け取って、日本政府を一方的に糾弾している国連の「人権問題委員会」の公正さにも、大いに疑問を持つものである。
さらに最も遺憾なのは、韓国挺身隊問題対策協議会である。この団体は「北朝鮮工作機関」と連携し、北朝鮮の利益を代表する「親睦団体」と監視されているとのことである。この団体の常任代表は尹美香氏で、日本キリスト教団から提供されている「平和聖日献金」などを資金源に、慰安婦に対する日本国政府の真の謝罪と誠意ある応対を求めており、在韓日本大使館前で、定期的デモ活動や、各地への慰安婦像設置運動などを行っている。また、ソウル特別市で、常設博物館の[女性の人権博物館]を運営している。大韓民国国家情報院は、この団体を「北朝鮮工作機関」と提携し、親北団体であると監視しているとのことである。
私のような歴史の生き証人もまだ残っている。そして日本政府は、元慰安婦と称するお婆さんたちに、賠償金として10億円を2回も送り、村山総理と河野官房長官は謝罪文も送っている。それでも、日本は謝罪も賠償もしていないと、国連人権問題委員会で、元慰安婦と称するお婆さんたちが証言している。
挺対協の代表である尹美香氏に言いたい。「歴史の生き証人はまだいくらか残っているのである。70年前までの日韓両国で、女性の社会的地位が低かったことや、公娼制度が認められていたことなど、歴史的事実を全く無視して世界各地で日本を誹謗して言いまわるのは、あなた方の歴史的無知をさらけ出していることである。私は、貴方たちにこそ『恥をしれ!』と言いたい」

ワイルス 蓉子
「ポトマック通信」
編集・発行者

Focusing historical issue from the overseas point of view chapter 14

Focusing historical issue from the overseas point of view chapter 14

The Responses of the Government of Japan to the Comfort Women Crisis:      Activated but Delayed

Fierce fighting took place in court between us and the Korean and Chinese organizations from 2014 and 2017. Even though their governments did not show up in front, those organizations which appeared to have received assistance from the respective governments were defending the City of Glendale. When we went back to Japan, we appealed to Japanese general public donations for our endeavors. Our attorneys advised us that a direct letter from the Government of Japan to the court would contribute to our cause enormously. So, we along with an attorney visited the Consul General in Los Angeles and inquired if a letter could be sent from his office just indicating that the Consul General had strong interest in this lawsuit and was in support of the plaintiffs because such a letter would be effective in this lawsuit. His response was that such a letter would lead to the loss of the diplomatic privileges which he and his colleagues were enjoying in the U.S., and the request was declined. When we were back to Japan, we made the same request to the Ministry of Foreign Affairs. The reply was that the comfort women issue was not a foreign affair or diplomatic issue, and therefore, the Ministry could not do anything. This incident took place a few years after President Myun-bak Lee of South Korea met and demanded Prime Minister Yoshihiko Noda an official apology and compensations from Japan to Korean ex-comfort women. We were deeply disappointed with the Ministry’s response.
To begin with, the original government response to the comfort women issue was misdirected. The Kono Statement of 1993 already contained an apology. Then, the Asian Women’s Fund which followed Kono Statement, tried to resolve the problem by distributing atonement money to ex-comfort women along with a letter of apology from the Japanese Prime Minister. When the U.S. House of Representatives was trying to make a resolution blaming Japan on comfort women, Prime Minister Shinzo Abe was trying to prevent it. But, due to strong pressure in the U.S., he had to give it up. But, since then, the situation within Japan had changed.
One prominent change was a statement by the government’s representative at the U.N. Human Rights Council meeting on July 16, 2014. He declared that in reference to the Slave Treaty of 1926, it was inappropriate to call the comfort women as sex-slaves. This position was strengthened by Deputy Minister Shunsuke Sugiyama of the Ministry of Foreign Affairs (currently Ambassador to the U.S.) when he spoke at the U.N. meeting for Elimination of Discrimination against Women on February 16, 2016. He stated that on the basis of an extensive study undertaken by the Government of Japan, neither the Government or its military recruited comfort women coercively, nor were they sex-slaves, and the total number was much less than 200,000. This has become the Ministry’s basic position toward the comfort women issue. Nevertheless, as the Japanese government expressed apology and promised to pay money to ex-comfort women at the time of the Japan-South Korea Agreement of 2015, most overseas observers regard that Japan admitted criminal acts.
On the other hand, the Government of Japan started to take positive actions. One example was the 2015 Japan-South Korea Agreement. With this agreement, the government requested the removal of the comfort women statue in front of the Japanese embassy in Seoul. Then, when a comfort women statue was installed in front of the Consulate General in Pusan, the Government of Japan withdrew the Japanese Ambassador from Seoul back home. Soon afterwards, when the Center for Civil and Human Rights in Atlanta approved the installation of a comfort women statue, a Japanese consul there actively worked against the plan, and led the Center to revoke the decision, a remarkable achievement. Then, when we filed a petition to the U.S. Supreme Court in January 2017, the Ministry of Foreign Affairs asked an attorney in Washington, D.C. to file an amicus curiae brief in support of Koichi Mera and GAHT. In this Ministry’s policy of “the comfort women issue being not a diplomatic issue” has gone away. The intention of the government was clearly expressed in the amicus brief.
As explained, the policy of the Government of Japan toward the comfort women problem has been transformed recently. It is becoming more action-oriented. It is a desirable change. Nonetheless, we cannot be at ease. On the coming July 20th and 60 times from then, a musical “Comfort Women” will be played at the Lincoln Center in New York by a Korean group, to which the Consulate General in New York informed me that they could not do anything because there was no evidence that the Government of South Korea was supporting the event. Also, the Government of Japan would not take any action to the Teachers’ Guide on Comfort Women which was prepared by a Korean organization and distributed to 18 high schools in San Francisco. The Guide is aimed at teaching high school students inhuman and cruel treatments which they claim the Japanese military did to Korean women, despite the fact that the stories have been fabricated.

Koichi Mera, Ph. D.
President, GAHT-US Corporation

日本政府の慰安婦対策: 遅すぎる動き。

このような激烈な我々GAHTと中韓との裁判所での戦いが2014年から2017年にかけて行われた。中韓側は政府は出てこないが、その支援を受けていると思われる勢力がグレンデール市を防衛していた。我々は日本に帰国しては、多くの人に呼び掛けて、支援をお願いした。我々の弁護士団は日本政府からの意思表明をもらえばかなりの効果があると忠告してくれた。それで、ロサンゼルスの日本総領事館に弁護士と共に赴き、総領事に訴えた。若しも、総領事または外務省がこの裁判に関して、強い関心を持っているならば、「原告を支援している」というだけの手紙でもよいから書いてほしいと告げたのである。それに対する答えは、「領事館などに勤務している人たちは外交特権を得ている。そのような手紙を書くと外交特権が失われる」ので書けないという返事を頂いた。日本に帰った時に、外務省の担当官に面会をした。同じような要請をした。帰ってきた返事は、「慰安婦問題は、外交問題でも、国際問題でもない。従って、外務省は何もできない」ということであった。すでにその時は、李明博大統領が慰安婦について日本からの謝罪と賠償を求めて、野田佳彦首相と会談してから数年たった時期であった。外務省の対応には全く失望したのである。
もともと、慰安婦についての政府の対応は最初から間違っていた。1993年の河野談話がすでに謝罪を表明している。その後に作られたアジア女性基金においては、元慰安婦であったと称する人に見舞金を渡して、総理からの謝罪の手紙を出すことによって問題を解決しようとしていたのである。2007年に、米国の下院が日本非難決議を準備していた時には、安倍首相がそれを阻止しようとしたが、米国の強い圧力で抵抗するのを諦めた経験がある。しかし、その後に日本国内で各種の動きがあったので、様子は変わってきた。
その最初の表明は2014年7月16日にジュネーブの国連で行われた自由権規約委員会における日本政府の発言であった。そこで日本政府代表は、慰安婦は1926年の奴隷条約の定義に照らして慰安婦を「性奴隷と呼ぶのは適切でない」と明確に宣言した。この立場は、2016年2月16日のジュネーブにおける外務審議官杉山晋輔(現駐米大使)氏の女子差別撤廃委員会での発言で更に強化された。彼は日本政府の調査の結果、政府や軍隊が強制連行をしたことはなく、彼女らは「性奴隷」ではなかった、そして、20万人という数字はあまりにも過大であると宣言した。この発言が現在の外務省の慰安婦に対する基本的な考えになっている。しかし、その前に締結された2015年末の日韓合意においても政府は謝意を表明しているし、慰留金も支払っている。そのために日本は悪事を働いたことを認めていると海外では解釈されている。
一方で日本政府は慰安婦問題に積極的に取り組み始めた。日韓合意がその端緒である。そこで日本政府はソウルの日本大使館前の慰安婦像の撤去を求めた2017年初頭に釜山の日本領事館前に別の慰安婦像が建てられると、政府は駐韓大使を召還した。その直後にアメリカのアトランタ市の公民・人権センターに慰安婦像の設置がされると判明すると領事と在住邦人との協力で反対し、その決定を覆えさせた。注目されるべき業績である。そして、我々が慰安婦像撤去裁判において米国最高裁判所に審議申請を提出した直後の2017年2月に我々の主張を支持するアミカス「意見書」を外務省がワシントンの弁護士事務所に依頼して提出したのである。そこには、既に「慰安婦問題は外交問題ではない」などとする理不尽な外務省の方針は放棄されてしまっていたのである。日本国の明確な意図が表明されたのである。
このように、日本政府の慰安婦問題に関する態度は変遷してきている。かなりの積極性が出てきているので好ましい変化である。しかし、まだまだ、おぼつかない。この7月20日からリンカーン・センターで公演される予定の韓国系の劇団によるミュージカル「コンフォート・ウィーメン」には領事館は手を出さないであろうし、サンフランシスコで韓国系の財団によって配布された慰安婦授業への学習指導指針に対しても、日本側は見過ごすことになりそうである。

歴史の真実を求める世界連合の会 理事長
目良浩一

●Focusing historical issue from the overseas point of view chapter 13

●Focusing historical issue from the overseas point of view chapter 13

The Fabricated History on Comfort Women &
The Installations of Their Statues in the U.S.

On November 22, 2017, Edwin Lee, Mayor of San Francisco officially endorsed the offer to annex the property containing statues of comfort women to City’s public park located within its Chinatown. With this, the number of monuments having comfort women statues had increased to three. The first was the one in the City of Glendale in California installed in July 2013. The second was four years later in the City of Brookhaven, GA in June 2017. These are small and medium cities. San Francisco is the first one among big cities.
These three monuments have a statue of a comfort woman (three comfort women in the case of San Francisco) as the focal point. There have been several monuments in public places containing drawings of comfort women before. The first was the one at the entrance to the public library in Palisades Park, NJ installed in October 2010. This plaque reads: “In memory of the more than 200,000 women and girls who were abducted by the armed forces of the government of Imperial Japan 1930’s-1945 known as ‘comfort women,’ they endured human right violations that no peoples should leave unrecognized. Let us never forget the horrors of crimes against humanity.” These descriptions contain several statements contrary to the historical facts, and are colored by anti-Japan sentiments. Later in 2012, a similar monument was built in Westbury, Nassau County outside of New York City. During 2013, another in Westbury, and a similar plaque in Hackensack, New Jersey were built. Then, in 2014, one in Fairfax County, VA, and another in Union City, NJ were erected. Since then, there was no activity for a while. This is due to the lawsuit against the City of Glendale as explained later. Then, when the lawsuit was about to end in the beginning of 2017, the erection of comfort women memorials has resumed.
These monuments have been built on the basis of the Resolution 121 against the Government of Japan which was approved in 2007 by the U.S. House of Representatives. This resolution was initiated ironically by Japanese –American, Mike Honda, then-Representative from a Silicon Valley district in California. This resolution was in turn based on the report on “comfort women” prepared by Special Reporter Radhika Coomaraswamy for the United Nations. She asserted they were coercively recruited, and became “sex slaves,” and endured extreme hardship going through repeated rapes, sexual violence, and abortions, and concluded that the system was the notable human trafficking of the twentieth century, and demanded apology to the Government of Japan. Even though this resolution was adopted in the House of Representatives, it was not discussed in the Senate. President Bush at the time kept some distance to the resolution. There are three important points in the resolution: (1) they were coercively recruited, (2) they were sex-slaves without freedom, and (3) the Government of Japan committed crimes of human rights violations.
Not only the resolution has led several cities to erect monuments for comfort women, but several states and cities have also made resolutions accusing the Government of Japan. They include States of New York, New Jersey, and Illinois, and cities of Milpitas, Fullerton and San Francisco, all in California.
This biased understanding of Comfort Women was originated from the U.N. Special Reporter’s report as stated above, and this report was made after a brief visit to Japan, South Korea, and North Korea (which was planned, but not visited). Thus, it was written largely on the basis of a book written by George Hicks, which was one of very few books written in English on comfort women at the time. Then, this book was written by believing the stories of girls-hunting  by gun-point written in My War Crimes by Seiji Yoshida, which was already discredited at the time. Thus, the Coomaraswamy report is not credible either.
As I shall describe subsequently, the honor of Japan was hurt seriously by a careless report by the United Nations. The report spread the news of human rights violations around the world, and accused Japan for crimes of human rights violations which were not committed. The South Korean people, which is competing with Japan in every occasion, found this report highly usable for the purpose of disdaining Japan. Thus, they are promoting the spirit of the Resolution 121, and installing the statues of comfort women in every possible location within the United States.

Koichi Mera, Ph. D.
President, GAHT-US Corporation

意見広告 ●海外から歴史問題を考えるシリーズ  13 捏造された「慰安婦の歴史」といかに戦うか。

カリフォルニア州グレンデールのケース

今まで述べてきたように、慰安婦が軍や警察によって強制連行されて 性奴隷とされ、悲惨な生活を余儀なくされ、終戦時にはほとんどが虐殺されたとする韓国系や中国系の団体が宣伝している歴史認識に関しては、それらのことを証明する歴史上の資料はないのである。我々はロサンゼルスで歴史の勉強会をしていた時に、そのような結論に達した。そうしているうちに、ロサンゼルスの北隣のグレンデール市が慰安婦像を市内の公園に建てるという話が出てきた。2013年7月の初めであった。7月9日には市庁舎で公聴会が開かれた。勉強会の関係から反対の人に呼び掛けたので、公聴会に集まった人たちは殆ど日本人であった。意見の陳述では29名の人が反対意見を述べ、わずか7名の韓国系の人が賛成意見を述べた。しかし、市会議員の投票では、4対1で、議案が承認されたのである。公聴会は、単なる儀式で、事前に韓国系団体に説得された議員たちは一般市民の意見に関わらず、彼らの意見を表明したのである。そこで、7月30日の慰安婦像の除幕式となった。米国における最初の慰安婦の像である。
このような慰安婦像の設置に日本人はいかに対処すべきであろうか。この像の設置後に数多くの動きがあった。一つは、反対署名集めである。かなりの署名が集められた。それを市長及び市会議員に提出した。しかし、なんの効果もない。日本から市会議員の集団が訪問してきた。15人位の様々な地方自治体の議員である。彼らは400以上の市町村の意見を代表していると称していた。彼らは市長に面会を求めたが、拒否された。日本の新聞などでは、グレンデールの行為が非難されたが、それは当事者には何の影響も与えなかった。日本政府は何の行動もしなかった。ただ、官房長官が「遺憾である」と記者会見で発言した程度である。
そこで、筆者が主体となって取った行動がグレンデール市を相手にして慰安婦像の撤去を求める裁判を起こした。裁判をするには、それなりの制約がある。原告が必要で、訴因が必要で、またお金も必要である。お金は日本の皆様からの寄付に頼ることにした。訴因が問題である。歴史の捏造という事も考えられるが、そのような罪状はない。日本人への差別とも考えられるが、この議論も法令違反に結び付けるのは難しい。日本人に対する名誉棄損であるとも考えられるが弁護士は漠然とした日本人という集団では訴訟は困難であるという。結局はこの問題は外交問題であり、米国では外交問題はすべて連邦政府が実施することになっているので、グレンデールのような市が外交問題に意見を表明することは米国の憲法に違反するという訴因を採用することになった。原告には、幸いにもグレンデール在住のアメリカ人と結婚して寡婦になった日本出身の女性が主原告として名乗り出てくれた。それに我々の組織も加わった。そして、2014年2月20日にロサンゼルスの連邦地方裁判所に提訴した。すなわち、慰安婦像を設置した地方自治体を提訴することによって、慰安婦像の撤去を狙い、またそのような設置の動きを牽制したのである。
この動きに対して韓国系及び中国系の団体から執拗な抵抗が続けられた。韓国系の場合は、カリフォルニア韓米会議(KAFC)と称する団体、中国系の場合は、世界抗日戦争史実維護連合会と称する団体が我々が訴状を最初に提出してから、また上訴するたびにアミカスと称する第三者意見書を提出してきたのである。更に、我が方の弁護士事務所に関して罵るような記事を著名経済誌に書かせて、最初の弁護士事務所を退出させてしまった。このような動きもあって、裁判所の判事までもが日本の軍隊は女性狩りをして、彼女らを性奴隷にした非人間的な犯罪者集団であったと信じてしまい、そのような人たちを擁護する原告は許せないという見解を持つに至ったようで、法律論に入る前に、訴状が却下されることが多かった。最終的には、米国連邦最高裁判所まで上訴したが、そこでも採択されなく、2017年3月に我々の敗訴が確定した。
それでは、我々の運動は無駄であったかというと、そうではない。裁判が行われていた4年間には、米国のどこにも慰安婦像は建てられなかったのである。裁判終了後に決まったのは2017年12月のサンフランシスコである。その間に慰安婦についての正しい情報がいろいろな形で米国内に提供された。今では、韓国系の慰安婦性奴隷説に対して反論があることがかなり知られている。次回には、この件に対する日本政府の動きを紹介する。

歴史の真実を求める世界連合の会 理事長
目良浩一

歴史の真実を求める世界連合会
THE GLOBAL ALLIANCE FOR HISTORICAL TRUTH (GAHT)   www.gahtjp.org

Focusing on historical issues from the overseas point of view chapter 12

The Children I Loved      A 98 year old Japanese Woman’s Memories of Her Days in Korea

Mrs. Roko Ueno in Fukuoka, Japan turned 98 years old in January this year. She uses a wheelchair, but enjoys reading lots of books, especially history books, and making tanka, Japanese traditional short poems.
For 6 years until the end of the WWⅡ, she had been an elementary school teacher for both Korean and Japanese children in Korea during the Japanese annexation. She still has very clear memories, and remembers many things in detail; such as her school, her students, the days when she returned from Korea right after the War, names of people she had met and conversations.
Now,  most of the older people with direct knowledge about the war time and the tempestuous period of the Showa Era have passed away, and there are fewer Japanese who can remember that time. Though Mrs. Ueno is very old, she can still talk about what she witnessed and experienced at that time. Her family thought they should keep the records of her precious experiences, and published a book entitled “The Children I Loved: 1939-1945 Memories of a Japanese Woman Teacher in Japan’s Annexation of Korea Days” (Azuma-shoin).
From the book, we learn that in Korea, during the Japanese annexation, teachers worked their best for education, just as same as the teachers did in Japan. We also learn about the good relationship between Japanese and Koreans in those days.
This book also teaches us the facts to pass on to the next generation and gives clues for objective verification. Mrs. Ueno writes as follows:
“I had never seen or heard the scene in which Japanese and Koreans were quarreling or fighting with each other in the town we lived. Furthermore, I had never ever heard that Korean people were moved or taken forcibly by the Japanese Army or police, though Korean people began to say recently that Japanese had treated Koreans terribly as something like slaves.
“If such a story had been true, the whole society in which Japanese and Koreans had been living together peacefully for a long time under the good relationship would have been split into two and chaotic, and resistances or riots would have broken out all over the Korean peninsula.
“We sometimes use the word ‘colony’ to refer to Korea. Though I don’t know what Asian countries colonized by Western countries were like, in Korea, we Japanese and Koreans had the same rights. and were equal with each other as the same human beings. We got along quite well with each other.”
And at the end of book, Mrs. Ueno closes with “Why don’t you look back on the history of Japan? How were they leading lives when your grandparents or great-grandparents were young? How drastically has Japan changed during and after the War? I’d like you to know about Japan, Korea, and all the conditions of the world at that time. I wish that we Japanese and Koreans would understand each other, and keep on good terms with each other forever from the bottom of my heart. It would be my greatest pleasure if this book were useful for it.”
This book is translated into English by one of her sons, Mr. Masahiro Ueno. One day, he happened to hear the news that there was “A lot of Japanese or Japanese descents, especially small children, all over the world being bullied by the Korean people, who are blaming them that they are descendants of the devil Japanese who forced Korean people to be slaves under ‘the Japanese annexation of Korea days.” This news moved him to start the translation.
There are stories such as; “The Koreans those days didn’t only have basic human rights, but they were also treated like slaves and tortured”, “Young women were taken away and forced to be ‘comfort women’ or ‘sex slaves,’ while young men were forced to work at dangerous places such as mines” and “Hundreds of thousands of Korean people were finally killed.” Mr. Ueno was shocked to hear such fake stories were spreading. He worked on his translation, hoping that Japanese children all over the world will learn the facts.
He says “If we hope for Japan to be an honorable nation in the world, we should avoid being cowards who won’t say anything true out of fear of offending others. We’ll be able to maintain the honor and dignity of ourselves, our ancestors, and our descendants, only when we speak out about historical facts, rather than keep silent. And as a result, it will finally improve the relationship between Korea and Japan.”
Please visit our Nadeshiko Action Web site for the English translation of the book “The Children I Loved” at  https://bit.ly/2qhw1aP.
Mrs. Ueno will be so delighted if this book helps you understand the truth about Korea and the people during the days of the Japanese annexation.
Yumiko Yamamoto, president of the grass root civil group, “Nadesiko Action,” or “Japanese Women for Justice and Peace.”

NADESIKO ACTION    Japanese Women for Justice and Peace       http://nadesiko-action.org

The Day That Fort Lee Becomes “ Fort 李 (Lee)” 

The Horrific Consequences of “Apology Diplomacy” By Japanese Government]

To this day, many Japanese nationals on business assignment at Japanese corporations choose to live in Fort Lee, New Jersey because of its easy accessibility to Manhattan, lying just across the George Washington Bridge. Surely there are many expatriate Japanese who used to live in Fort Lee as children and have since returned to Japan. The origin of its name is General Charles Lee, a hero of the Revolutionary War. George Washington and General Lee are said to have set up a camp here in order to defend New York City and were marching down Fort Lee’s Main Street. In the early 20th century, it is also known as the home of major movie studios, rendering it a bustling place like Hollywood (however, most of them left Fort Lee for Hollywood in the late 1930s). In addition, Fort Lee was originally largely populated by Italian immigrants, and it was rumored that the area was safe because of the mafia presence.
In the late 1970s, Japanese started settling in Fort Lee and the surrounding areas, such as Palisades Park and Leonia. Koreans began following Japanese in the 1980s, and in big numbers at that. This influx was the result of several family-run Korean conglomerates, which were enjoying remarkable growth at the time, opening offices in Fort Lee. It is also due to the U. S. government expanding its quota of green cards for Koreans who fought alongside the U.S. during the Vietnam War. I used to live in Palisades Park for 3 years from 1982–1985, and I believe that there were more Japanese than Koreans at that time. Even then, however, there were so many children of Asian descent that, as a consequence of this large Asian population, I recall hearing stories of local American parents complaining to the schools that their own children were not speaking English correctly. I am surprised to learn that the populations of Fort Lee, Leonia, and Palisades Park are now approximately 35%, 20%, and 65% Korean, respectively. Americans are sometimes exceptionally tolerant and generous, but even so, it’s hard to believe they have let the situation come this far. Or, I could surmise that Americans have gradually fled to escape from the expansion of Korean immigrants. I wonder what will happen if it continues to grow like this.  We encounter signs written in Hangul (the Korean alphabet) all over the area, giving some illusion as if we were in Korea. No wonder that the area has become a hotbed of Korean anti-Japanese activity. In fact, the first comfort women memorial in the world was erected at the entrance to the Palisades Park Library in October 2010. Since then, nine more memorials and statues have been built in the United States.
Ironically, “Lee” is a common way to romanize a Korean surname, and it is one of the five most common Chinese and Korean surnames. In Korea, Lee is very popular, second only to Kim, marking about 15% of the population. Two well-known Lees that quickly come to my mind are Syngman Rhee (Lee), the first president of South Korea who snatched Takeshima islets by one-sidedly drawing the Syngman Rhee Line, and Myung-bak Lee, a former Korean president who rubbed the Japanese emotion by visiting Takeshima in person and by stating that the Emperor of Japan “must himself apologize if he would like to set his foot in Korea.” It seems that the surname Lee is a foreboding one for Japan.
On December 14 of last year, the Fort Lee City Council unanimously voted to erect a comfort women memorial. Yoko Nagato of Himawari Japan contributed an “advocacy advertisement” to Shukan NY Seikatsu, writing that the people who advanced the plans were a group of Korean-American high school students from Fort Lee High School and that they had been inspired by watching “Spirits’ Homecoming,” an anti-Japan propaganda film about comfort women. She also concluded that several anti-Japan organizations were behind the scenes using these high school students.
It is pathetic that all of the members of the City Council have surrendered to the anti-Japan movement, but politically this makes sense because the majority of the electorate is of Korean ancestry. No matter how much we Japanese assert that this anti-Japan movement is based on a fake historical story and that it will encourage the bullying of and bias against Japanese children, it is almost impossible to resolve unless the Japanese government resolutely asserts accurate historical awareness and flatly rejects the anti-Japan movement’s slander and defamation using the comfort women issue. According to Nagato, Fort Lee Mayor Sokolich stated, “I think the blame lies upon Japan because the Japanese government paid compensations to South Korea. Why would you have to do it unless you knew you were wrong?” Yes, he’s got it right!  The repeated “apology diplomacy” coupled with the lack of refutation carried out to date by the Japanese government and Ministry of Foreign Affairs has aggravated the comfort women issue to this extent and has also caused Japanese children living abroad to be the target of bullying.
When we Japanese first arrived in the United States taking a new assignment, weren’t we told repeatedly by friends or superiors, “In America, you shouldn’t be quick to apologize. Do not promptly say, ‘I’m sorry,’ even if you’re involved in a traffic accident. An admission of guilt could be subject to some payment of huge monetary compensation?” This is the basic preparatory knowledge required for overseas living not only in the United States but also in other countries. Since this is a kind of common knowledge in everyday life, then it is even more relevant to foreign relations at the frontline of conflicting national interests. It would be unthinkable for Japanese diplomats who have spent many years living overseas in various countries to claim they are unaware of this mindset. Or have the elite bureaucrats been unable to experience this, having lived in a privileged world with no reality?
To this day, the Ministry of Foreign Affairs has not made any clear-cut public explanation regarding the truth and cause of the comfort women issue, nor has it contested the slanderous accusations made by various parties. Upon searching for “comfort women issue” on the Ministry of Foreign Affairs homepage, one only finds excuses such as an expression of “sincere apologies and remorse to all those women known as comfort women who suffered immeasurable pain and incurable physical and psychological wounds,” and that we have “extended maximum cooperation to the Asian Women’s Fund, which implemented ‘medical and welfare support projects’ and provided ‘atonement money,’ to offer realistic relief to former comfort women.” No matter where one looks on the site, there is no mention whatsoever of a resolute rebuttal of the issue indicating that the problem originated from lies made by a genius conman, Seiji Yoshida, that were proliferated for more than twenty years by the Asahi Shimbun, and that the fake stories that comfort women were sexually assaulted and that there were 200,000 Korean women (and another 200,000 of Chinese women!) in sexual slavery have no basis in reality and have in fact slandered the nation of Japan and its citizens. Based on this, the Japanese government is essentially admitting that it is guilty of a heinous crime—and as previously mentioned, the Fort Lee mayor has stated as such. This false accusation will never be cleared. Japanese children have no recourse when they are bullied. Is the Japanese government incapable of understanding how much our children are hurt and how horrific it is that they have lost their pride and dignity in being Japanese?
Under the 1965 Treaty on Basic Relations between Japan and the Republic of South Korea, Japan paid $800 million in total under the condition that Korea “renounces all rights to request reparation and compensation from Japan.” This figure was huge as it was equivalent to 2.3 times the national budget. And, Japan had already renounced all infrastructure-related facilities such as bridges, roads, dams, power plants, etc. free of charge that were built during its annexation of Korea. Korea’s miraculous economic recovery could not have been achieved without this unprecedented support from Japan. In 1995, the comfort women issue resulted in a contribution to the so-called Asian Women’s Fund with approximately 1.1 billion yen (approximately 600 million yen donated by Japanese citizens, plus approximately 500 million yen in subsidies from the government), paying two million yen to each comfort woman. A considerate letter of apology from former Prime Minister Junichiro Koizumi accompanied the payment. And in recent memory, there was another stunning agreement between Japan and South Korea in December 2015 where another payment of one billion yen was made under the “absolute final and irreversible” conditions. At this time as well, Prime Minister Abe expressed his “sincere apologies and remorse.”
Even so, comfort women statues and memorials have continued to be built one after another worldwide. How long will this last? It’s like repeatedly 「泥棒に追銭」 (a Japanese proverb that translates to “throwing good money after bad”). And it goes without saying that the “good money” is the hard-earned taxpayers’ money. When will the Japanese government and the Ministry of Foreign Affairs learn their lesson? The Ministry of Foreign Affairs is complaining that South Korea is always moving the goalposts, but it is Japan that has attached wheels to the posts so they can be moved easily. Japan must wake up to the reality of the world by now.
The unveiling ceremony for the Fort Lee comfort women memorial was held on May 23. All I want now is that the Japanese government demonstrate resolute attitude to the anti-Japan movement that has disparaged Japan to the point of bending the truth. Please don’t cause senseless suffering to Japanese people and the children living in New York area anymore. Before considering “friendship” or “common ground,” I would like Japan to resolutely assert its “stance” and the “truth of the comfort women story.” If such a simple task is impossible to take, please don’t do anything for us. Please also take out all references to comfort women from the Ministry of Foreign Affairs’ homepage.  It is simply because of that that the battle over history is crucial and endless, and it does nothing to seek compromise for “common ground” or otherwise.

Masaki Shirota (Music Producer)

Photo

The Comfort Women Memorial opening ceremony was held with Mayor Mark Sokolich on May 23, 2018. Photo by Ryoichi Miura, Shukan NY Seikatsu. ©New York Seikatsu Press, Inc.

意見広告 ●海外から歴史問題を考えるシリーズ 12

写真説明  月見小学校3年生の生徒と担任の瓏子さん(昭和20年8月、韓国)

98歳おばあちゃんの回想録
日本統治下の朝鮮の小学校教師として

上野瓏子さんは福岡にお住いの今年の一月で98歳になった方です。車いすの生活を送っていますが、今も読書や短歌を詠むことが趣味で、特に歴史ものが大好きです。
瓏子さんは、日本統治下の朝鮮で日本人教師として韓国人、日本人の子供たちの小学校の先生を終戦までの6年間勤めました。当時の記憶は鮮明で、学校のこと、子供たちのこと、終戦による引き揚げのことなど、人名や会話までとても細かく覚えてらっしゃいます。
開戦から敗戦、そして引き挙げといった昭和の激動期を生きてきた日本人も、高齢化が進み、その頃を証言できる人が年々少なくなっています。瓏子さんもかなり高齢ですが、まだ十分話せます。そこでご家族が、母親の貴重な体験を記録として残しておくことは大切だと考えて本にまとめて出版したのが「おばあちゃんの回想録 木槿の国の学校 日本統治下の朝鮮の小学校教師として」(梓書院)です。
この本を読むと、当時朝鮮半島では日本本土と同じように教師たちが、子供たち皆の健やかな成長を願って、日々懸命に教育活動に取り組んでいたことや、日本人と韓国人とは良好な関係にあったことがわかります。
また、この本は事実を後世に伝え、客観的に検証していく上での手掛かりにもなります。瓏子さんは当時の様子をこう書いています。「私たちの住んでいる町で、日本人と朝鮮人が争っている場面を見たことは一度もありませんでした。ましてや軍の命令による朝鮮人の強制連行といった話など、私の周りではまったく聞いたことはありません。もしもそのようなことがあったならば、日本人と朝鮮人が折角より良い関係を築き生活している社会に大きな亀裂が走り、おそらく混乱を招き、場合によっては暴動に発展した可能性もあります。植民地という言葉は使われても、同じ人間として平等であったし、当地では皆仲良く暮らしていたのです」
そして、最後にこう結んでいます。
「おじいちゃんやおばあちゃんが若かった頃、どんな青春時代を過ごしたのか。そして、戦中・戦後の激動の時代があったことをお隣の朝鮮のことや私たちの住む祖国日本のことを、それぞれの立場でもっと詳しく知ってほしいと思っています。そして、両国の人々が深く理解し合い、これからお互いに仲良く付き合っていけることを心から念じています。日本統治下の朝鮮で生きた一人の日本人として、一人の教師としてこの回想録が、そのためのお役に立てればこの上ない喜びです」
この本を瓏子さんの息子さん上野正裕さんが英訳しました。英訳のきっかけはたまたま聞いたニュースです。世界中でたくさんの日本人や日系人、その幼い子供たちが、彼らは日本の韓国統治時代、韓国人を奴隷にした悪魔の日本人の子孫であると言って、韓国系の人々から迫害されている、というものでした。
韓国人は基本的人権がなかっただけでなく奴隷のように扱われ拷問をされた。若い女性は連れ去られて「慰安婦」即ち「性奴隷」を強要された。男性は炭鉱のような危険な場所で強制労働を強いられた。更には、何十万人もの韓国人が最終的には殺害された・・・。 正裕さんは、そんな話が事実のように広まっていることに衝撃を受け、世界中の日本人の子弟に真実を知ってほしいとの思いで英訳したそうです。
正裕さんはこう仰ってます。「日本が世界で名誉ある国家であることを望むなら、私たちは相手が怒ることを恐れて何ら真実を述べない臆病者であってはなりません。沈黙を守るのでなく歴史的事実に基づいた事実に関して声をあげるとき初めて、私たちは、私たちの、祖先の、子孫の名誉と尊厳を守ることができるのです。そしてそれが最終的には、この両国関係を改善することに繋がると信じています。」
この「おばあちゃんの回想録」の英語版「The Children I Loved」は、上野氏のご許可を得てなでしこアクションのウェブサイトに掲載しています。是非アクセスして下さい。
https://bit.ly/2qhw1aP
当時の朝鮮半島とそこに生きた人々の真実の姿が皆さんに伝われば、瓏子さんもきっと喜んで下さるでしょう。

なでしこアクション
代表 山本優美子

●海外から歴史問題を考えるシリーズ 11

SANYO DIGITAL CAMERA

二つのメモリアル 南軍英雄の記念彫刻と慰安婦像

この春、初めてジョージア州のアトランタを訪問しました。滞在中には有名なストーン・マウンテン公園に行きました。この公園は巨大な岩山に刻まれた南北戦争の南部連合の記念彫刻で有名な観光地です。世界一大きく高いと言われるこの彫刻には、南軍の3人の英雄、ジェファーソン・デービス、ロバート・リー、ストーンウォール・ジャクソンが刻まれています。このうちデービス氏(1808-1889)は1861から65年まで南部連合の大統領でした。南軍は負けましたが、21年後の1886年、ミシシッピー州でデービス氏は演説しました。「先の戦争に負けたからと言って我々は北軍を恨んではいけません。また決して南軍は悪かったと子供たちに教えてはいけません。なぜなら我々の大義は正しかったからです。」
この彫刻が一番よく見渡せる場所には、記念館のビバリー・デュボース館長の言葉が刻まれた碑があります。そこにはこう書いてありました。「先の大戦において、南部連合の大事に殉じた兵士達の殆どが貧しい農夫たちでした。戦いの勝敗が彼らの運命に直接関係なかったのに関わらず、歴史上、最も過酷で長い4年間を勇敢に戦い貫きました。そして祖国の生存権を守る為、身命を賭して奮闘しました。このメモリアルはその彼らに捧げます。それゆえに彼らの偉業は今日も語り継がれています」
私はこれらの言葉にとても感銘を受けました。戦争に負けても国家のために戦い亡くなった先人の勇気と栄誉を称えています。我々日本人もこのような言葉で次世代に語り継ぐべきだと思いました。
滞在中にもう一つ別の公園に行ってきました。アトランタ北西の郊外にあるブルックヘブン市のブラックバーン公園です。この公園には昨年慰安婦碑が建ちました。碑は慰安婦像と空の椅子、碑文プレートから成っています。韓国ソウルの日本大使館前に設置されて問題となっている像と同じで、米国内の公共地ではカルフォルニア州グレンデールに次いで2体目です。
ブルックヘブン市では毎年3月にこの公園で桜祭りを開催します。桜は日本を象徴する花です。一方で、慰安婦像は反日の象徴となっています。日本を象徴する桜のお祭りに反日の象徴の慰安婦像があるなんて許せないことです。
私がこの公園に行ったのも桜祭りの時でした。週末を楽しむ家族連れや若い人たちが通りかかり、立ち止まってその碑文を読んでいました。
碑文にはこういうことが書いてあります。「日本帝国陸軍に奴隷にされた慰安婦」、「推定数十万人の20世紀最大の人身売買の一つです」、「慰安婦はアジア太平洋の少なくとも13か国の出身で、主に韓国です」、「殆どは第二次世界大戦中に殺されました」、「拉致された平均16歳の少女を表します」
これらの記述は全く誤り、事実ではありません。南軍を称えるストーン・マウンテンの碑文と比べるとなんという違いでしょうか。
日本は戦争に負けはしましたが、国のために命を懸けて戦った先人たちの名誉は守るべきです。ところが現実はどうでしょうか。ねつ造話を基にした記念碑が海外に建ち、日本の歴史が歪められて世界に広まっています。
この5月にはニュージャージー州フォートリーのコンスティテューション公園に新たな慰安婦碑が建ちました。このまま慰安婦碑や像が増え続けるのを黙って見過ごして良いのでしょうか。
次の世代に何を伝えるか、その責任は今を生きる私たちにあるのです。今こそ私たちが声を挙げなくてはなりません。
次号では、日本併合時代の朝鮮半島の真実を伝えようと本を出版した98歳の日本人女性を紹介します。

なでしこアクション
代表 山本優美子

なでしこアクション Japanese Women for Justice and Peace
http://nadesiko-action.org

Advertisement●Focusing on historical issues from the overseas point of view chapter 11

Confederate Memorial and Comfort Women Memorial

*Open PDF File.

This spring, I visited Atlanta, Georgia for the first time. During my stay, I went to Stone Mountain Park. The park is one of the most popular tourist spots and is famous for the Confederate Memorial Carving on Stone Mountain. It is the largest high relief sculpture in the world and depicts three Confederate figures of the Civil War: Jefferson Davis, Robert E. Lee and Stonewall Jackson. Jefferson Davis (1808-1889) was the President of the Confederate States from 1861 to 1865. In 1886, 21 years after the defeat of the Civil War in Mississippi, he stated, “the Southerners would not have to get revenge on the Yankees but would never tell their children that the South was wrong in the War Between the States; the South lost the battle, but the cause was right.”
At a point where you can have the best look of whole memorial carving, there is a plaque of the quotation by Beverly M. Dubose, the Curator of the memorial hall. It reads, “The vast majority of those who fought and died for the Southern Confederacy had little in worldly goods or comforts. Neither victory nor defeat would have greatly altered their lot. Yet, for four long years they waged one of the bloodiest wars in history. They fought for a principle: The right to live life in a chosen manner. This dedication to a cause drove them to achieve: A monument of greatness which endures to this day.”
I was deeply impressed with these words. Although the Confederates lost the Civil War, they praise the courage and honor of those who fought and died for the confederacy. I thought Japanese should pass down our story just like their words to the next generation.
I went to another park called Blackburn Park in Brookhaven, a city in the northeastern suburbs of Atlanta. In the park, there is a comfort women memorial that was installed last year. The memorial consists of a comfort woman statue, an empty chair, and a plaque. It is a replica of the controversial statue in front of the Japanese Embassy in Seoul, Korea. And, it is the second comfort women statue in the public space in the U.S. after the one in Glendale, California.
In Blackburn Park, Brookhaven City has the Cherry Blossom Festival every March. The Cherry blossom is the symbol of Japan. On the other hand, the comfort women statue is now known as a symbol of anti-Japan.
I believe it is not acceptable that they have the festival of cherry blossoms, a symbol of Japan,  with the comfort women statue, a symbol of anti-Japan.
It was during the festival when I went to the park to see the comfort women memorial. Local families and young people were there to enjoy weekend. They passed by the memorial and stopped to read the inscription of the plaque.
The plaque reads as follows:
“Comfort Women who were enslaved by the Japanese Imperial Armed Force”; “One of the largest known cases of human trafficking in the 20th century with estimates ranging up to the hundreds of thousands”; “The Comfort Women are from at least thirteen Asian-Pacific countries, principally from Korea”; “Most died or were killed during World War II”; and “GIRL- Represents the average age of 16 when most girls were abducted.”
These descriptions are totally wrong and not facts. What a big difference from the Confederate Memorial!
Japan lost the War, but we should honor those who fought and died for our country with the words just like I found at Stone Mountain Park. However, the reality is that memorials of fabricated stories are being erected overseas, and the distorted history of Japan is spreading all over the world.
In May, another comfort women memorial was erected at Constitutions Park in Fort Lee, New Jersey. Do we just keep quiet and do nothing, but let them build more comfort women memorials?
We have a responsibility for what to pass on to the next generation. Now it is time to speak out.
In the next chapter, I will introduce a book and the author, a 98-year-old Japanese woman, who tells the truth about what really happened during the days of the Japan’s annexation of Korea.

Yumiko Yamamoto,
president of a grass root civil group, “Nadesiko Action,” or “Japanese Women for Justice and Peace.”

Focusing historical issue from the overseas point of view chapter 10

The [Comfort Women] – A Tool of Japan Bashing; There Seems to be no Irreversible Agreement

At the beginning of this year, President Moon Jue-In declared that the agreement which was concluded on the issue of “Comfort Women” irreversibly in December 2015 does not fully solve this controversial issue, although the Japanese government again paid 100 million dollars for the redemption to former “Comfort Women.” In studying through past negotiations on this issue, it is obvious that the Korean government does not seem to have any intention to conclude this matter. When the Japanese government formerly expressed apologies and paid the redemption to “Comfort women,” the Korean government claimed that the way of apology didn’t express enough for its repentance. Then Japan again expressed its apology, but the Korean government insisted that all the victims are not satisfied by the way of Japan’s apology. Furthermore, when Japan paid $10 billion as indemnity, the then Korean President criticized, saying, “Japan tries to settle this matter by money, not by sincere repentance.”

There are rumors that some organizations which are closely connected to the North Korean Government urge former comfort women not to receive any redemption from the Japanese government, because they may lose the best way to draw the money out from Japan. I hardly believe that the Korean government is sneaky to that extent.

In 1993, Cabinet Secretary Taro Kohno expressed his apologies on the basis of re-examination on this issue, and in 1995, on the basis of Mr. Kohno’s apologies, Prime Minister Murayama established “The Asian Women Indemnity Fund” (Prime Minister Murayama was the first Prime Minister who was elected from the Socialist Party.) Then, with the letter of apology from Prime Minister Murayama, the indemnity of 2 million yen was paid from the donation of Japanese people and an additional 1.2 million yen – 3 million yen were paid from “The Asian Women Indemnity Fund” for their medical expenses. However, in Korea, many organizations which support former “Comfort Women” rejected the payment from “The Asian Women Indemnity Fund” and tried to persuade the former “Comfort Women” not to receive any form of redemption from the Japanese Government or from other Japanese organizations. As a result, among 240 women who claimed to be “Comfort Women,” only 60 women accepted the indemnity. “The Asian Women Indemnity Fund” was established for the purpose of paying redemption to Asian women. This foundation paid redemption to women in Indonesia, The Philippines, Korea, Indonesia and Taiwan and supplied medical needs and other support they needed. This fund was closed in 2007 by the completion of its ultimate purpose.

When the Pacific War started on December 8, 1941, I was a teenage girl and lived in Tokyo, Japan.  From the beginning of the year  1945, I experienced indiscriminate bombing by B-29 bombers almost every night until Japan declared surrender on August 15.  By the air raid by B29 bombers on March 10, 1945, more than 100 thousand people were killed by the fire bombs. Those who jumped into the Sumida River were killed by boiling water. It was estimated that more than 300 fire bombs were dropped into the  Sumida River. Some people said, “it was caused by the natural consequence of your own government’s act.” Since Japan started the Pacific War by attacking Pearl Harbor, all the Japanese accepted the consequence and endured all kinds of unbearable difficulties for many years during and after the war. Many people still talk about Hiroshima and Nagasaki, the first and second cities where thousands people were killed by atomic bombs. However, the air raid by fire bombs in Tokyo on March 10, 1945 was as brutal as Hiroshima and Nagasaki! Those who were injured or killed did not receive any monetary assistance from the government. Whenever I mentioned indiscriminate bombing by B-29 bombers, and many large cities in Japan became burnt fields, many said, “the disaster was caused by Japan and it was the consequence of Japan’s brutal acts.  It was indeed true that the disastrous cause of the war was started by Japan. Therefore, Japanese people had never complained – we just worked so hard to reconstruct our country. Then, only 20 years after the war, Japan was able to host the Olympic Games in 1965!

I would like to mention again that the hard life of “comfort women” was not caused by the war, but caused by the Japanese/Korean feudalistic societies where the status of women was not equal as men, and women who were born into  poor families were forced to sacrifice their own lives for their family. After the war, particularly during last 20-30 years, many Koreans have immigrated to the U.S. Those children of new immigrants were educated in the U.S and many of them became college graduates. They are intelligent and active in local politics. However, they do not seem to know the history of the country they came from. Therefore, they invited former “Comfort Women” to speak at public and civic meetings, even at the Human Rights Committee meetings of the Congress to tell their fabricated story.

However, it is almost impossible to persuade the Korean Government not to reiterate this controversial matter, because the issue of the comfort women is the most effective tool to insult Japan and to keep receiving remuneration from Japan.
Yoko Wiles
Publisher of Potomac Newsletter

●海外から歴史問題を考えるシリーズ  10 知られていない貧困層に生まれた日韓女性の哀しい運命

「慰安婦問題」は国際的な場所で、
日本を卑しめる最も有効な手段。

*本誌PDF紙面が開きます。https://www.nyseikatsu.com/api/678/pdf/page22.pdf

 年始早々、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、慰安婦問題の日韓合意は「未解決」で「間違いだった」という声明を出した。国家間で「最終的、且不可逆的な解決」と確認した合意を、たった2年でなかったことにしようと言っているのである。過去の経歴を見てみると、日本が謝罪すれば「誠意がない」と言い、再度謝罪したら「被害者の同意がなかった」と難癖をつけ、被害者と申し出た女性たちにお金を払うと「アジア女性基金からで日本政府のお金じゃないから受け取るな」と言い、日本政府が10億円出すと「金で済ませようとしている」と批判をする。韓国の北朝鮮の息がかかった団体が、問題を解決されたら食い扶持がなくなるから、元慰安婦に「金をうけとるな!」と脅しているという事実もあるとの事である。しかし、私はそこまで韓国が卑劣だとは思いたくない。 
 1993年、河野官房長官は元慰安婦に「お詫びと反省」を表した官房長官談話に基づいて、1995年に村山総理(社会党)が「アジア女性基金」を発足した。政府は道義的責任を認め、総理のお詫びの手紙とともに、国民の寄付から償い金200万円、さらに国費から医療・福祉支援として120万〜300万円を支給する事業を韓国、台湾などで実施した。 
 しかし、韓国では慰安婦支援団体が、日本政府が謝罪と補償をすべきだと反発し、慰安婦と名乗りでた女性約240人のうち、基金からの償い金を受け取ったのは約60人にとどまった。 日本政府は慰安婦や徴用工等民間人に対する補償の問題は、1965年の日韓基本条約を締結した際に朴正熙大統領が個人に対する補償は韓国政府で行うとのことで、賠償金をまとめて韓国政府に払ったので、これらの問題は法的に解決済みと了解している。しかし、韓国政府は大統領が代わると、何かと理由をつけて、この問題を持ち出すのである。
 「女性のためのアジア平和国民基金」(正式名)は第二次世界大戦中に従軍慰安婦として動員された女性に対する補償、および女性の名誉と尊厳に関わる今日的な問題の解決を目的として、平成7年(1995年)に当時の政府の決定により設立された財団法人である。総理は社会党から選出された村山富市氏であった。(ちなみに、社会党と共産党は現在でも、慰安婦は強制連行だったと信じている。)オランダ、フィリピン、韓国、インドネシア、台湾で償い金の支給や医療・福祉支援事業を実施、平成19年(2007年)に基金事業の終了に伴い解散した。 
 私は第2次世界大戦中に10代の少女で東京に住み、1945年3月から始まったアメリカ軍のB-29爆撃機による連夜の無差別空襲を経験した。ことに1945年3月10日の下町大空襲では、約10万人の市民が焼夷弾攻撃によって殺された。劫火を逃れて墨田川に飛び込んだ市民の上にも焼夷弾が落とされて隅田川の水は煮えたぎり、川は焼死体で埋まった。こう書くと「それは戦争を始めた日本が悪いのです。自業自得です」と言われる。確かに戦争を始めた日本が間違っていたから、日本国民はどんな困難な目にあっても自業自得と耐えてきた。しかし、「慰安婦」と称するお婆さんたちは違う。彼女たちは首に縄を付けて引っ張って行かれたのではない。当時公認だった「娼館」に女性を世話するのを職業としている「女衒」に、親も承諾のうえで連れていかれたのである。勿論彼女たちの親には、当時の貧困層の人々にとって容易に手にすることのできない金額が支払われたのである。戦後ことにここ20〜30年の間に、親に連れられてアメリカに移住してきた韓国の子供たちがアメリカで教育を受け、中にはアメリカの大学を卒業して社会的に活躍している韓国人も多い。現にサンフランシスコの市会議員の3人の女性は、韓国系でアメリカで教育を受けている。彼女たちは73年前までの日韓の女性、ことに貧困層に生まれた女性の哀しい運命については露ほどの知識もないらしい。そして、これらの韓国系女性市会議員は「慰安婦銅像」建立運動の先頭に立っている。また、韓国政府は、元慰安婦のおばあさん達を銅像の除幕式に招いたり、国連の人権問題委員会の公聴会に出席させて時系列に全く合わない証言をさせたりしている。しかし、これらの「慰安婦」を使って、日本を卑しめようとすることを阻止することは難しい。なぜならば「慰安婦」は国際的な場所で、日本を卑しめる最も有効な手段だからである。

ワイルス 蓉子 
「ポトマック通信」Potomac Newsletter 
編集・発行者

http://nadesiko-action.org/?cat=14

 

●Focusing historical issue from the overseas point of view chapter 9

*Open PDF File. https://www.nyseikatsu.com/api/677/pdf/page25.pdf

The Comfort Women
A fabricated story as a tool of bashing Japan!   Don’t let that change true fact

I was born in 1930.  I am in the same generation of those “comfort women” who allegedly insist that they were abducted by the soldiers of the Japanese Imperial Army and forced to become sex slaves – or so called “comfort women.”  I am a living witness of the upheaval Showa era of Japan.  Although I have the deepest sympathies for those who were born in poor families and who were forced to engage in professions which would yield much greater amount of money than  factory workers or baby sitters, I am appalled by the allegations which these comfort women appealed at the meeting of the Human Rights Committee of the United Nations. As witnesses of the most inhumane acts done by the Japanese Imperial Army whose allegations, for the most part, do not match the backgrounds of that time, it is indeed a shameless act by the Korean Government to use old women as witness at the international scene and let them speak the fabricated story which has already been denied by the Japanese people who live in the same generation.
In August 1945, Japan lost the war and was occupied by the Allied Forces led by General Douglas MacArthur.  The GHQ (General Headquarters) was very eager to change Japan towards modern society, particularly the social status of women.  The gates of good colleges, which were opened only to male students, had to open their gates equally to women.  Japanese women over 20 years old were given voting rights and freedom of marriage, by which allowed women to marry men they chose without their parents’ consent.  The most notable change was the abolition of licensed prostitution.  Until 70 years ago, it was notable that chronicly poor families had many children, and even before they could finish elementary school, many girls of poor families had to work as babysitters, factory workers, and at other low-wage jobs.  Some girls, particularly good-looking girls, were adopted by the owners of licensed prostitution houses and were taught about their jobs until they reached the legal age of 17 to work as  prostitutes.  In those days when I was a child, I noticed a big advertisement on the pole at the corner of streets that read “Help wanted – Girls for Brothel”.  I asked my mother what a brothel was, and she quickly said “Children don’t have to know.”  Before 1945, it was obvious that many women who were born in poor families took that kind of job at their own will in order to bring some money to their family.
Those Koreans, who are completely ignorant about the history of their own country, use “comfort women” as a tool of Japan bashing.  What shameless people they are!  Furthermore, in Japan, there are some people, including a honorary professor of one of the top ranking universities, who believe the fabricated story of the comfort women.  Without having a bit of knowledge about the history of the feudalistic society both in Japan and Korea, those Koreans who immigrated to the U.S. with their parents and were educated in the U.S. believe the fabricated story of comfort women, and are actively working with local governments to build comfort women statues in public places such as play grounds and parks.  How ignorant and shameless they are!
In June 22, 1965, The Treaty for the Basic Agreement for the Normalization of the Relations between Japan and the Republic of Korea was signed by the Prime Minister of Japan and by the President of Korea.  Since the first meeting to discuss the treaty was held in February 1952, it took 15 years to conclude the finalization of the Treaty.  After numerous negotiations, both governments finally agreed that Japan will pay the total of $800 million as an indemnity. The assets of about $530 million owned by the Japanese government and Japanese residents in the Korean Peninsula were confiscated.  During the negotiations, the Japanese Government suggested that such individual claims as forced laborers and comfort women will be taken care of by the Japanese Government.  However, the Korean Government insisted that the individual compensation will be taken care of by the Korean Government.
In December 2015, Japan again paid $100 thousand dollars by the request of the then Korean President, and both countries agreed that this issue is irreversibly solved.  However, some Koreans still insist to build comfort women statues in the U.S. and Canada.
In the past, the Japanese Government paid twice.

Yoko Wiles
Publisher Potomac Newsletter

Potomac Newsletter

http://nadesiko-action.org/

意見広告●海外から歴史問題を考えるシリーズ ⑨ アメリカで「慰安婦」像を建てろと言いまわっている人たち 戦後生まれの無知な世代が日本叩きに慰安婦を利用している

アメリカで「慰安婦」像を建てろと言いまわっている人たち
戦後生まれの無知な世代が
日本叩きに慰安婦を利用している

*本誌PDF紙面が開きます。https://www.nyseikatsu.com/api/676/pdf/page22.pdf

私は昭和5年(1930)生まれ、「慰安婦」の証人として国連の人権問題委員会の公聴会やアメリカ各地の集会で訴えまわっているお婆さんたちとまさに同年で、昭和の激動時代を生きてきた昭和史の生き証人である。元「慰安婦」のおばあさん達が、アメリカ各地で全く時系列に合わない、当時の日朝両国の社会的背景とも全く異なっている「証言」に唖然としている。そして、彼女たちを国際社会の場で、このような証言をさせている国の品位を問いたい。
1945年8月、日本は戦争に負けて、マッカーサー元帥が率いる連合軍に占領され、連合軍総司令部の指導のもと、今までの封建的日本社会の改革が行われた。中でも連合軍総司令部は女性の社会的地位の向上に熱心であった。女性の参政権を認め、男性オンリーだった国立・私立大学の門戸を女性にも開放した。 親の承諾がなくても自分で選んだ男性と結婚ができる結婚の自由、そして公娼制度の廃止等であった。
それまで、日本もそして日本の統治下の朝鮮でも公娼制度が認められていたのである。 当時は「貧乏人の子沢山」と言われた通り、貧困家庭には子供が多かった。そして、小学校を卒業すると男の子も女の子も、工場や商店に年季奉公に出された。
女の子は年季奉公の女工や女中、そして娼妓として売られた者も多かった。当時の日本でも朝鮮でも、電柱に「娼妓募集」や「カフェー女給募集」の広告が堂々と張られてあったのである。(私が子供の時に電柱の「娼妓募集」の広告を見て、「娼妓ってなーに」と母に聞いたことがあった。母は慌てた声で「子供には関係のない、知らなくてもいいことよ」と言った。) 強制連行などしなくても、貧家に生まれた女性が親兄弟の犠牲になって応募したのである。 こういう当時の社会背景に全く無知な韓国人の戦後生まれの世代が、アメリカやカナダで「韓国人女性が強制連行されて日本軍の性奴隷にされた」と言いまわっているのは、明らかに日本叩きに「慰安婦」を利用しているのである。私から見れば実に恥知らずの連中と呆れている。そして日本でも、大学の名誉教授までが、韓国の不当な言いがかりを認めているのには、本当に情けないと思っている。この連中の歴史的無知に対して、まだ生存している者が正しいことを伝えなければ、日本は賠償金を取られ続けられ、世界各地に「慰安婦像」と称する少女像を建てられるのではないかと大いに危惧している。
1965年6月22日に日本と大韓民国(韓国)との間で両国の関係正常化に関する「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」が調印された。1951年にサンフランシスコ講和条約で、日本と朝鮮の関係処理は両国の合意にゆだねられることになった。1952年2月に第一次会談が開かれ、65年の妥結にいたるまで、実に15年ものあいだ、中断と再会を繰り返した。1965年6月に、日本(佐藤栄作総理)と韓国(朴正熙大統領)の間で調印された。
これにより日本は韓国を朝鮮半島で唯一の合法政府と認めた。同条約は15年にわたる交渉の末に調印されたが、調印と批准には両国で反対運動が起きた。両国間の問題点は報償金であったが、交渉の末、総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3憶ドル)の援助資金と引き換えに、韓国側は請求権を放棄した。
この交渉中、日本政府は韓国側からの徴用者名簿等の資料提出を条件に個別補償を行うことを提案したが、韓国政府は個人への補償は韓国政府が行なうということで、日本政府は「慰安婦」への補償も当然含まれていると解釈したのである。日本が統治時代に朝鮮半島に持っていた53億ドルの個人資産や国有資産に対する最終請求権を放棄した。かくて日韓基本条約によって、両国間の財産、請求権の一切の完全かつ最終的な解決が確認されたのである。 条約は、英語、日本語、韓国語で2部づつ作成され、両国政府で保管されている。
「慰安婦」は強制連行ではなかった! それでも、日本政府は村山政権のときに10億8000万円支払い河野官房長官が謝罪文を送った。そして、2015年の日韓両国の話し合いでさらに10億円を日本が支払って、この問題は「不可逆的に解決した」と日韓両国が署名した。それでも、アメリカで「慰安婦」像を建てろと言いまわっている韓国人の「恥知らず」には、全く呆れている。
ワイルス 蓉子
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