ふたりぼっち

ニューヨークのとけない魔法 ⑥
岡田光世

 What brought you to New York? どうしてニューヨークに来たのですか。どこの出身ですか、と同じくらい、ニューヨークではよく聞かれる質問だ。

 あのときも、それが話のきっかけだった。九十六丁目の角を曲がったところで、地下鉄の轟音が聞こえたので、駆け足で階段を下り、改札を通り抜けたが、すでにホームに電車の姿はなかった。仕方なく向かったホームのベンチには、女の人がひとり、背中を丸め、空を見つめてすわっていた。中南米のスペイン語圏からの移民、ヒスパニック系のようだった。

 今、来た電車はCトレインでしたか、と尋ねると、いいえ。Bよ。私もCを待っているのよ、とその人が答えた。週末は地下鉄のルートがよく変わるから、何が何だかわからなくて、と私がぼやく。この辺に住んでいるの?  とその人が私に聞いた。いいえ。あなたは? もっと北のブロンクスよ。話していると、Cトレインがホームに入ってきた。私たちは隣にすわった。その人はプエルトリコ出身だった。

 What brought you to New York? どうしてニューヨークにやってきたの? 軽い気持ちで、私が尋ねた。

 It’s a long story. 話せば長いのよ。そう言って笑うと、女の人は自分の物語を話し始めた。

 私が生まれる前に、父は母を置いて、家を出ていったの。そして私が八歳のとき、今度は母が私を置いて、家を出ていってしまった。私は母方の祖母に育てられたの。母はひとりでニューヨークに行ったと、あとで知った。十八歳になったとき、母を追い求めて、私もひとりでこの街にやってきたの。で、お母さんには会えたの? その人は首を横に振った。会えるわけがないわよ。この大都会のどこに母がいるか、何の手がかりもなかったんだから。でも、母に会いたい一心で、飛び出してきちゃった。あれからもう二十年もたってしまった。

 そう言うと、みるみるうちに、その人の目から涙があふれ出した。ごめんなさい。聞かなければ、よかったわね。いいえ。聞いてくれて、うれしかった。

 降りるとき、私が声をかけた。You never know. You might run into your mother tomorrow. This is New York. Anything can happen. わからないわよ。明日、お母さんにばったり会うかもしれない。ここはニューヨーク。何だって起こり得るんだから。

 その人が笑った。Thank you for listening. 話を聞いてくれてありがとう。

 地下鉄でそばにすわっていた人たちは、その人と私がたった今、出会ったとは、想像もしないだろう。でも、それがニューヨークという街でもある。そっとしておいてほしければ、群衆のなかでひとりぼっちでいることもできる。でも、誰かと話したければ、ひとりぼっちではなく、ふたりぼっちになれる。それも、地球の反対側からやってきた、見ず知らずの人とでも。

 いつか私がふたりぼっちになりたいときも、きっと耳を傾けてくれる人がいるだろう。ニューヨークはなぜか、そんなふうに思える街なのだ。

 このエッセイは、シリーズ第6弾『ニューヨークの魔法をさがして』に収録されています。40万部突破の「ニューヨークの魔法」シリーズ(全9巻)は文春文庫から刊行されています。

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