写真説明  月見小学校3年生の生徒と担任の瓏子さん(昭和20年8月、韓国)

98歳おばあちゃんの回想録
日本統治下の朝鮮の小学校教師として

上野瓏子さんは福岡にお住いの今年の一月で98歳になった方です。車いすの生活を送っていますが、今も読書や短歌を詠むことが趣味で、特に歴史ものが大好きです。
瓏子さんは、日本統治下の朝鮮で日本人教師として韓国人、日本人の子供たちの小学校の先生を終戦までの6年間勤めました。当時の記憶は鮮明で、学校のこと、子供たちのこと、終戦による引き揚げのことなど、人名や会話までとても細かく覚えてらっしゃいます。
開戦から敗戦、そして引き挙げといった昭和の激動期を生きてきた日本人も、高齢化が進み、その頃を証言できる人が年々少なくなっています。瓏子さんもかなり高齢ですが、まだ十分話せます。そこでご家族が、母親の貴重な体験を記録として残しておくことは大切だと考えて本にまとめて出版したのが「おばあちゃんの回想録 木槿の国の学校 日本統治下の朝鮮の小学校教師として」(梓書院)です。
この本を読むと、当時朝鮮半島では日本本土と同じように教師たちが、子供たち皆の健やかな成長を願って、日々懸命に教育活動に取り組んでいたことや、日本人と韓国人とは良好な関係にあったことがわかります。
また、この本は事実を後世に伝え、客観的に検証していく上での手掛かりにもなります。瓏子さんは当時の様子をこう書いています。「私たちの住んでいる町で、日本人と朝鮮人が争っている場面を見たことは一度もありませんでした。ましてや軍の命令による朝鮮人の強制連行といった話など、私の周りではまったく聞いたことはありません。もしもそのようなことがあったならば、日本人と朝鮮人が折角より良い関係を築き生活している社会に大きな亀裂が走り、おそらく混乱を招き、場合によっては暴動に発展した可能性もあります。植民地という言葉は使われても、同じ人間として平等であったし、当地では皆仲良く暮らしていたのです」
そして、最後にこう結んでいます。
「おじいちゃんやおばあちゃんが若かった頃、どんな青春時代を過ごしたのか。そして、戦中・戦後の激動の時代があったことをお隣の朝鮮のことや私たちの住む祖国日本のことを、それぞれの立場でもっと詳しく知ってほしいと思っています。そして、両国の人々が深く理解し合い、これからお互いに仲良く付き合っていけることを心から念じています。日本統治下の朝鮮で生きた一人の日本人として、一人の教師としてこの回想録が、そのためのお役に立てればこの上ない喜びです」
この本を瓏子さんの息子さん上野正裕さんが英訳しました。英訳のきっかけはたまたま聞いたニュースです。世界中でたくさんの日本人や日系人、その幼い子供たちが、彼らは日本の韓国統治時代、韓国人を奴隷にした悪魔の日本人の子孫であると言って、韓国系の人々から迫害されている、というものでした。
韓国人は基本的人権がなかっただけでなく奴隷のように扱われ拷問をされた。若い女性は連れ去られて「慰安婦」即ち「性奴隷」を強要された。男性は炭鉱のような危険な場所で強制労働を強いられた。更には、何十万人もの韓国人が最終的には殺害された・・・。 正裕さんは、そんな話が事実のように広まっていることに衝撃を受け、世界中の日本人の子弟に真実を知ってほしいとの思いで英訳したそうです。
正裕さんはこう仰ってます。「日本が世界で名誉ある国家であることを望むなら、私たちは相手が怒ることを恐れて何ら真実を述べない臆病者であってはなりません。沈黙を守るのでなく歴史的事実に基づいた事実に関して声をあげるとき初めて、私たちは、私たちの、祖先の、子孫の名誉と尊厳を守ることができるのです。そしてそれが最終的には、この両国関係を改善することに繋がると信じています。」
この「おばあちゃんの回想録」の英語版「The Children I Loved」は、上野氏のご許可を得てなでしこアクションのウェブサイトに掲載しています。是非アクセスして下さい。
https://bit.ly/2qhw1aP
当時の朝鮮半島とそこに生きた人々の真実の姿が皆さんに伝われば、瓏子さんもきっと喜んで下さるでしょう。

なでしこアクション
代表 山本優美子